当時、若者がオウムに引き寄せられた理由として、閉塞感がどうのこうのとか、麻原に父性を感じたからだなどとおっしゃる方が多い。
こういった考え方は自分には当てはまらないなと思う。
何故なら、自分にとってヨーガを実践する理由、修行をする目的は解脱・悟り以外に有り得ないからである。
子供の頃から、少なくとも小学校低学年の頃には、自分は何のために生まれてきたのだろうという疑問を持っていた。
その答えは見つかるはずもなく、一時的な仮の答えとして、科学者になって世の中のためになる発明をしようとか考えていた。
その考え方が少しずつ変わっていくのは、ヨガというものを知ってからである。
なぜ少しずつしか変わらなかったのかと言えば、その情報があまりにも少なく、少しずつしか変わりようがなかったからである。
ヨガというものを知るにつれ、その究極の目的は健康になる事などではなく、解脱にあるのだという事を知ったとき、ああ、これだと思ったものだ。
しかし、解脱するための方法は明確にはならず、ただ、時間だけが過ぎていった。
その方法を知るのは、もっとずっと後、オウム真理教に出家して成就認定を受けてからになる。
私はようやくその答えを掴んだのだ。