偽りの救済⑤ | 法友(とも)へ

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p120

この極限集中修行によって、1989年12月までに一気に200人ほどの「クンダリニー・ヨーガの成就者」と1ランク下のヨーガの成就者が誕生することになった。

 

まあ、誤解を招きやすい表現かなと思う。

 

 

この文章だと、200人ほどのクンダリニー・ヨーガの成就者が誕生したと勘違いする人がいるのだろうと思う。

 

つまり、クンダリニー・ヨーガの成就者が200人で、その他に1ランク下の成就者が何人か誕生したという解釈になる。

 

この、それぞれの階級における人数が何人であったのかは、オウムの組織構造を知る上で重要な数字なので、間違いのないように書いてもらいたいものだ。

 

 

200人というのは1989年、1年間の合計の人数である。

 

1ランク下の成就者たちはその後特別なポジションに付くこともなく、それまでどおりのサマナ生活を送っている。

 

なので、重要なのはこのときに誕生したクンダリニー・ヨーガの成就者の人数、つまり一般のサマナから幹部へ昇格したということだが、それは全部で40名ぐらいだったのではないかと思う。

 

つまり、大多数の百数十名は、ただの人数合わせだったということになる。

 

 

p121

90年代に入ると武力による「救済」しかないとして、教団は取りつかれたように武装化路線をすすめていく。

 

これは明らかな誤り。

 

91年、92年はほぼ支部活動のみの穏やかな期間である。

 

杉本もまた、麻原のお供で各地の支部を回っている。

 

この間には目立った武装化はない。

 

まあ、それがオウム事件の謎とも言える部分である。

 

普通に考えるならキーマンは土谷である。

 

土谷の出家によって、武装化計画が一気に進むことになった。

 

もし土谷がいなかったら、一連のオウム事件はまったく違う形をとっていただろう。