基本的な間違いを見つけると、まあ、素人さんだからしょうがないかと思ったりするのだが、これは別に素人さんに限ったことではなくサマナも同様である。
もっとも、こいつは教義と修行体系をよく理解できているなあ、などと思うサマナには出会った事はないのだが。(笑)
例えば、シヴァ神。
一般人がヒンズー教だと思うのは仕方がないが、サマナでそのレベルでは信徒からやり直せという話になる。
オウムにおけるシヴァ神とは、ヒンズー教の神様などではなく、ヨーガにおけるグルの事である。
というか、そもそも、グルとは何かが分かっていないんだろうなあ。
で、この件に関しては、麻原は怒りの説法とでもいうべきものを行っている。
当時はこの説法を生で聞いていたのだが、麻原が当たり前の事を言っているなあ、なんで麻原が怒っているのかなあ、と思っていた。
オウムでいうシヴァ神はヒンズー教とは関係がない。
てか、そもそも、富士山総本部道場の2階に飾ってある、ヤソーダラーが趣味で描いた絵をシヴァ神だとでも思っているのか。(笑)
あれは、ただの、ヤソーダラーの絵である。
まあ、一般人がヒンズー教だと思うのは仕方がないとして、おそらくサマナというか幹部たちが無智をさらけ出したのだと思う。
それで麻原が、ヒンズー教のシヴァ神とは違うということを明確にするために、シヴァ大神と言い出したのだ。
このシヴァ大神とは、もちろん本来の意味でのシヴァ神の事である。
この「シヴァ神」と言う言葉は、インドに於いてはよく使われる言葉であり、日本の言葉で例えるなら「神さま」とかお年寄りが使う「神さん」とかいう意味に近いのではないかと思う。
それは、天照大神かもしれないし、大黒様かもしれないし、キリスト教の神さまかもしれないし、ご先祖様なのかもしれない。
それらは全て、オウムでいうところの神とは別物である。
オウムでいう神とは、欲六界の最上位の存在達の事であり、一般人がそのような存在を意識することはない。
で、オウムでいうシヴァ神も、一般人もヒンズー教徒も意識することのない全くの別物である。
ヒンズー教のシヴァ神は人格神であり偶像であるが、オウムのシヴァ神は純粋光の存在・真我である。
ま、この説明も厳密には正しくないが、これでいいことにしておこう。(笑)