当たり前の事かもしれないけれど、この著者はやはりオウムについて何も知らないのだなと思う。
オウムの連中、とはいっても色々いることはいるのだが、少なくともある程度真面目に修行していたサマナ達は、おそらく一般人よりもかなり苦痛に対して鈍感である。
これは、特に自分に対しての、という意味である。
自分が罪に問われる、たとえそれが死刑であっても特に感慨はないと思う。
なぜなら、自分が罪を犯したことは紛れもない事実だからだ。
しかし、自分が嘘つき呼ばわりされるのは許すことが出来ない。
なぜなら、彼らはバカが付くほどの正直者だからだ。
それがオウムの連中に共通する特徴であると思う。
しかし、まあ、って感じなのだが、早川の「ワシの手紙は、なんぼでも好きに使ってや」は僕の知る早川そのものである。
やはり、僕の考えは間違っていなかった、その事が確認出来たことを嬉しく思う。
だけど、記事はすでに削除してしまったし、手紙も処分してしまったので、今更復活は不可能である。