世間でよく言われている、そう思えることに「あんな優秀な若者たちがオウムなんかに、」というものがある。
まあ、この言葉は的外れであろうと思う。
精神世界云々に、学歴は関係ない。
そもそもが、学校では全く習ったことがない世界の話なのだから。
例えば、「仏教とは何か?」
と、聞かれて、まともに答えられる人など誰もいないだろう。
仏教の歴史とか、どんな宗派があるだとか、葬式などの儀式はどうするのだとか、そんなことしか知りはしない。
仏教の本質、仏教そのものが何であるのかは、それを職業とする坊さん達ですら何も答えられない。
まあ、これは当然のことだろう。
空の本質、実態がないという概念は、エゴが最も認めたがらないものであるからだ。
自分の存在でもいいし、この世界の存在でもいいのだが、それが存在していることの証明は誰にも絶対に不可能である。
証明しようとすれば、それは最後に必ず個人の認識に行き着く。
個人の認識とはつまり、脳内現象・神秘体験に過ぎないということになる。
もしかしたら、自分というものは存在していないのかもしれない。
この考え方は非常に面白い。
理科系の人間を引きつける。
では、自分とは何なのだろうか?
その問いかけには、肉体でもなければ心でもないと答える。
ますます、面白い。
こうやって、学校の授業では教えてくれない、新しいおもちゃにハマっていくのである。(笑)