翻訳というのは難しいものだとは思う。
違う時代の違う言語、しかもただの素人だ。
意味が理解出来ない人が多いかもしれないが、仏教学者は仏教学の専門家であるし、翻訳家というのは外国語の専門家であるに過ぎない。
仏教やヨーガそのものの専門家ではない。
修行というものは、実践経験がなければ到底理解など出来ない世界である。
アートマンを真我と訳してしまったことが、解脱・悟りを得るための大きな障害になっているようだ。
真我を表わす言葉として使われているのは、主に次の四つである。
それは、プルシャ、アートマン、ブラフマン、パラブラフマンである。
で、ざっくり言ってしまうと、この中で真我と言えるのはパラブラフマンだけである。
残りのプルシャ、アートマン、ブラフマンの三つは真我の特性を表わしたものに過ぎない。
なので、この四つの紛らわしい言葉を、現代日本人にも分かりやすいように個人的に勝手に翻訳してみたいと思う。
それはこのようになる。
プルシャ(観照者)
アートマン(個人的純粋意識)
ブラフマン(集合的純粋意識)
パラブラフマン(真我)
今までに何度も嫌になるほどこのブログに書いていると思うのだが、真我は我ではない。
これは無我が我であり、非我が我であるのとは対照的である。
「無」・「我」そして「非」・「我」であり、「真我」である。
真我独存であり、真我実存ではない。
真我独存とは、真我だけが存在(独存)し、それ以外の全て(一切皆)が3グナによって作り出された幻影(空)であるということである。
この事実を我、すなわちエゴは認めることが出来ない。
全部まとめると次のようになる。
真我(独存)
ブラフマン
アートマン
プルシャ
幻影(空)
宇宙(この世界の一切皆)
無我、非我
神、仏
我(エゴ)
まあ、誰も理解出来ないんだろうけどね。(笑)