23年 | 法友(とも)へ

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月日の経つのは早いものだ。

 

ついこの間、オウマー達が20周年記念と言って騒いでいたと思ったら、それからもう3年も経っているとは。

 

 

最近、元オウムの活動が活発になっているようだ。

 

まあ、麻原が言っていたように、死ぬときに後悔しないように、やりたい事があれば今のうちに全部やっておくしかあるまい。

 

なのだが、カーリーとアーチャリーはいったいどこへ行こうとしているのだろう?(笑)

 

 

それにしても、ヴァジラヤーナにおけるグルと弟子との関係は1対1とはよく言ったものだなと、改めて思う。

 

人それぞれ、オウム時代に経験したことが違い、それぞれに考え方が違う。

 

全く、面白いものだ。

 

なのでこのブログも、他のどこにもない特徴的なものになっている。

 

 

なぜ事件が起きたのか?

 

オウムとは何だったのか?

 

その答えは既に出ている。

 

ただ、それを知ったからと言って、何がどうなる訳でもない。(笑)

 

 

グルと弟子との関係が1対1という事に関して、麻原と最後に話をしたときの事を思い出した。

 

94年9月。

 

第10サティアン2階の祭壇の横、パーテーションで区切られた中で、麻原とまさに1対1で話をした。

 

教団を離れたいと伝えると、麻原は「直属で動いてもらう。」そう言った。

 

部外者にはピンとこないかもしれないが、地下鉄サリン事件を思い出してみれば、話が分かりやすいと思う。

 

実行犯たちは直属ではない。

 

あの時、直属だったのは村井ただ一人である。

 

 

麻原は、直属で動くか、教団を離れるか、「どちらでも好きな方を選べ。」と言った。

 

もちろん、教団に残っていれば、今ごろ死刑が確定していることはまず間違いがないだろう。

 

それともうひとつ、部外者には分かりにくい事があると思う。

 

世間では、グルイズムなどというオウムの教義にはない言葉が独り歩きをしているようだが、この件を見ても、麻原は弟子に選択肢を与え自由に選ばせている事が分かるだろう。

 

 

教団を離れたいという事を伝えると、麻原は押し黙ったまま身じろぎもしなかった。

 

長い沈黙の時間が過ぎていった。

 

その時、麻原が泣いているように見えた。

 

そして、絞り出すような声でこう言った。

 

「こんなところで・・・、」

 

不思議な言葉の選択。

 

そう言ってよかったのかもしれない。

 

「こんなところで、偉大なボーディーサットヴァを・・、」

 

麻原は言葉を続けた、

 

「出家であろうと現世であろうと関係がない。」

 

「お前はこれからも、私の直弟子だからな!」

 

 

あの時の気持ちは、何と表現すればいいのだろう?

 

そして、麻原は最後の言葉を口にした。

 

 

と、まあ、こんな感じで、もうしばらくブログを書き続けることになりそうだ。(笑)