ハングドマン3 | 法友(とも)へ

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続いて、ピンポイントで目に付いた部分について、感想を書いていこう。

 

 

p48

曹洞宗の板橋禅師はオウム事件に関して、ほとんど関心がなかった。

 

「反省とは?」という質問に、「事件のことを、忘れてしまうことでしょうな。」と答えている。

 

この対応は、ダライ・ラマと似たようなものに思える。

 

 

この答えは、実際に忘れてしまえと言っているのではない。

 

そんなもの、忘れようとしたって、忘れられるわけがない。

 

 

記憶は残る、それは変えようがない。

 

問題は、記憶の想起に伴って起こる、心の働きの方だ。

 

この心の働きを苦しみの生起という。

 

つまり、記憶が苦しみなのではなく、心の働きが苦しみなのであり、その人は自分で自分を苦しめているだけだということだ。

 

他人を許せないのも同じ事。

 

事実が許せないのではなく、その人の心の働きが許さないだけなのだ。

 

 

従って、心の作用を止滅させることで、苦しみから解放されるということが分かるだろう。

 

板橋禅師の「忘れてしまえ」は、「心の作用を止滅させよ」と同義であると言っていいだろう。

 

 

う~ん、のっけから長くなってしまった。(笑)