続いて、ピンポイントで目に付いた部分について、感想を書いていこう。
p48
曹洞宗の板橋禅師はオウム事件に関して、ほとんど関心がなかった。
「反省とは?」という質問に、「事件のことを、忘れてしまうことでしょうな。」と答えている。
この対応は、ダライ・ラマと似たようなものに思える。
この答えは、実際に忘れてしまえと言っているのではない。
そんなもの、忘れようとしたって、忘れられるわけがない。
記憶は残る、それは変えようがない。
問題は、記憶の想起に伴って起こる、心の働きの方だ。
この心の働きを苦しみの生起という。
つまり、記憶が苦しみなのではなく、心の働きが苦しみなのであり、その人は自分で自分を苦しめているだけだということだ。
他人を許せないのも同じ事。
事実が許せないのではなく、その人の心の働きが許さないだけなのだ。
従って、心の作用を止滅させることで、苦しみから解放されるということが分かるだろう。
板橋禅師の「忘れてしまえ」は、「心の作用を止滅させよ」と同義であると言っていいだろう。
う~ん、のっけから長くなってしまった。(笑)