輪廻転生があるとするなら、その主体、何が輪廻転生するのかを明らかにする必要がある。
それが明らかに出来ないのであれば、まあ、明らかに出来ないまでも、それが何であるのか説明出来ないのなら、輪廻転生は存在しないということになる。
何が輪廻転生するのかは、その事実をありのままに観察することで簡単に明らかになる。
輪廻転生する主体とは、記憶の事である。
記憶が私と結び付く、つまり、その記憶が私のものであると認識することが、輪廻転生の正体である。
しかし、実際には、その記憶があるというだけで、その記憶が自分のものであるという証明は出来ない。
事実は、単にその記憶があるというだけの事であり、その記憶が自分が経験したものであるいう事にはならない。
麻原はこれを、脳はただの受信機であると表現した。
何を受信するのかと言えば、それはアーカシックレコードのデータである。
人それぞれにカルマがあり、受信出来るデータが決まっている。
そのデータが、その人をその人たらしめている、という考え方である。
分かってしまえば、実に簡単な事だ。