原始仏典は、仏教ではなくアーナンダ教である。
サーリープッタも、マハー・モッガラーナもいない、ステージの低い弟子たちが集まり、100年間伝言ゲームを続けた。
そんな物を仏教だというのは、釈迦牟尼に対する、あの偉大な釈迦牟尼に対する、冒涜以外の何ものでもない。
そもそも、真理の教えとは、解脱者が自分自身の言葉で語るものである。
引用など、ただの思考停止に過ぎない。
本物を見つけたければ、自分自身の言葉で語られているものの中から探すことだ。
そして、自分自身の実践で確かめてみればいい。
クンダリニーヨーガで、エネルギー的に体験するのでもいい。
ジュニアーナヨーガで、論理的に理解するのでもいい。
途方もない時間努力を重ねる中で、こんな事を続けても無駄なのではないかと思う事だろう。
自分は間違った事をしているのではないかと思うだろう。
しかし、積み重ねた努力は、修行者を裏切ることはない。
ヨーガの修行に失敗はない。
いずれ必ず、時間の問題で、真我とは何かを知る時がやって来る。
その為には、正しい努力が必要なのだ。