この弁護士に限った事ではないが、元オウムにしても、とかく経典を盲信するタイプの者達がいる。
僕にはどうもよく分からない人達である。
何かに書かれていれば、それだけを正しいとする考え方は僕には理解出来ないし、修行者にとっては、信じるか信じないかなどどうでもいいことである。
修行者にとって必要な事は、信じることではなく、実践することである。
そもそも、解脱とは何かなど、解脱するまで理解など出来るはずもないし、解脱に至る方法もまた、解脱するまで理解出来るはずもない。
そこにあるのは、信じるか信じないかなどではなく、やるかやらないかだけである。
それは完全に個人的な判断であり、その結果は誰のせいでもなく、全て自分に責任がある。
で、経典に話を戻すと、元オウムには、やたらと原始仏典を有り難がる者達がいる。
これはとても悲しい事である。
まあ、無智のカルマだからしょうがないと言えばしょうがないのだが。
原始仏典の成立は、釈迦入滅100年後とされる。
まあ、この時点で、常識的には、何をふざけとんねん!
という話にはなると思うのだが。(笑)
ではなぜ、原始仏典は釈迦入滅後、100年も経つまで成立する事がなかったのか?
その答えは簡単である。
釈迦牟尼本人が、経典を作ることを禁止したからに他ならない。
つまり、原始仏典とは、釈迦の許可なく編纂された、本来は仏教を名乗る資格のない経典ということになる。