地下鉄にサリンを撒かないという選択肢に基づく具体的な行動は順に、上祐のように根拠を示して説得する。
井上のように失敗したと言い訳をする。
であり、その次が、教団の崩壊を防ぐために動く、ということになる。
この選択肢は、結果を見る限り、絶対に正しいと言って間違いがない。
麻原は戦争状態がもっとも修行をする環境にふさわしいと言ったことがあるが、これは完全に方便である。
なぜなら、オウム真理教の教義の中に、人間界が最も修行するのに適しているという前提があるからである。
オウム真理教の教義においては、戦争の悲惨な状況である地獄や、ひたすら戦い続ける阿修羅の世界において修行は出来ないとされる。
現状を見る限り、教団が崩壊し、事件に全く関与していないものまでもが世間から総攻撃を受ける中で、まともに修行を続けてきた者がどれだけいるというのだろうか。
ほとんどの者は、予言だの陰謀だのにかまけて修行を怠り、20年以上経っているにもかかわらず、まったくステージを上げることが出来ずにいるのだから。
究極のエゴイストである修行者の思考パターンとしては、被害者の事は考えない。
しかし、教団が崩壊し、修行者たちが路頭に迷うという事は阻止しなければならないと考えるのだ。