事件を起こせば教団は崩壊する。
その事を認識した段階から、さらに様々な事を考えるはずだ。
実行犯が5人であるというところにも、麻原の思惑が隠れているようにも思う。
あの時、べつに実行犯は11人でもよかったわけだし、爆弾ならサリンよりも簡単に作れるのだから、サリンと爆弾を組み合わせてもよかったのだ。
オウムが所持していたサリンの量から考えて、地下鉄サリン事件は被害が小さすぎる。
これはテロリストの行動としては、かなり矛盾したものであると言える。
教団が崩壊するという事に考えが至った段階で、修行者が考えるのは法友の事だろう。
サリンの殺傷力の凄まじさに実感がないために、被害者の事にはあまり意識が向かわないのだろうと思う。
これこそが、究極のエゴイストたる修行者の思考パターンである。
法友のためを思うなら、サリンは撒いてはならない。
教団がサリンを製造している事など何も知らず、真剣に修行に打ち込んでいる法友達を路頭に迷わせるわけにはいかない。
もしかしたら、麻原は、5人全員が、サリンを撒くとは限らないと考えていたのかもしれない。