p149「タントラのボサツは自分が悪業を積むことになるが、それを最高の実践課題とする。」という89年4月27日の説法を引用している。
書かれている通り、麻原は殺人は悪業であるとはっきり言っている。
当たり前の話だが、全ての魂はカルマにおいて平等である。
それが誰であろうと、ティローパであろうと殺生は悪業であり、そのカルマにより地獄に落ちる。
確かに心の働きにおいては、他を利するつもりであれば功徳となる。
しかし、身の行いにおいては、地獄のカルマを積むことになる。
善業と悪業は相殺されるのではなく、どちらも別々のものとして残るのだ。
それと、麻原は殺人が罪にならないと言ったことは、一度もないはずである。
麻原は、日本国内において、人を殺すことが罪にならないと考えるほど頭が悪いわけではない。
ただ、麻原の遠回しの言い回しによって、一部のサマナたちがなんとな~く罪にならないような錯覚に陥ってしまったということなのだろう。
誰がどう考えたって、人を殺せば罪に問われるのは明白である。
大部分のサマナにとっても同じ事、罪になる事は分かり切っている。
論理的に考えるならば、罪にならないと考える方がおかしいのだから。
まあ、その論理的に考える能力を奪ってしまうのがカルトの恐ろしさなのではあるが。
ただ、そういうタイプの者達を実行犯に選ぶ、麻原ほどの眼力がなければそう上手くはいかない。
あの当時のサマナたちは、いきなりサリンを撒けと言われても、その指示に従わない者がほとんどであったはずである。
事件が終わった後で、オウムがサリンを撒いたと聞かされて初めて、幹部たちがサリンを撒いたのなら自分も撒かなければならないのではないか、自分も撒いたかもしれないと感じているに過ぎない。
今までに何度も書いてきたが、麻原が言っていたのは、「来世地獄に落ちることが分かっていたら、修行するしかないんじゃないか?どうだ?」という事だ。
また別の場面では、「サマナ生活は幸せすぎる。よって、私は君たちをより厳しい修行環境に追い込もうと思う。」と言っていた。
さらに、麻原の、「私は何のグルだと思うか?」という質問に対するサマナの「大乗のグルだと思います。」という答えを聞いて、「私を大乗のグルだと思っているのか。」と言って笑っていた。
僕から見れば、この本の著者も、世の中も、元オウムも、どうしたらそんな勘違いが出来るのか、まったく不思議でならない。