p137「プルシャとは、すでに触れたように人間の中の人間、真の人間(純粋精神)を意味している。」
オウムの教義について語って欲しいんだけどなあ。(笑)
真の人間が純粋精神になっているが、普通に考えれば、人間とは精神ではなく肉体だろうと思う。
精神がなくて肉体だけ、すなわち死体であってもそれは人間である。
しかし逆に、肉体がなくて精神だけ、そんな目に見えない・触れることも出来ない物を、それを人間であるという思考が僕には理解できない。
オウムの教義におけるプルシャとは、それはもちろん純粋観照者の事である。
エゴが消え去った後にも残る気づき、その気づきの主体がプルシャである。
p144オウムが行った行為は宗教的に正しいのかについて。
いや、オウムは宗教じゃないから。(笑)
麻原も説法で、「オウム真理教は宗教ではない。真理である。」とちゃんと言っているではないか。
まあ、仮に真の宗教というものであれば、それは善悪を超越している。
というよりも、善悪の判断がない。
なぜなら、全てはカルマによって生起しているだけだからである。
善悪を説くのは、ただの方便に過ぎない。
この本だけに限った事ではないが、オウムについて何らかの判断をするのであれば、方便について語る事には意味がない。
教義について正しい知識を身に付けたうえで、脳みそに汗をかくほど、死ぬほど考えに考えて、ようやく糸口が見えてくるかどうかという話だ。
まあ、他の分野においては僕は専門外なので、とやかく言う気にもならないし興味もない。
しかし、ことオウムに関してなら、これははっきりと自分は専門家であると言える。
なので言わせてもらうが、オウムに関する限り、世の中には、知識においても、思考においても、十分な能力を持った人物はいまだに誰もいない。