昭和の時代、日本のヨーガには大きな二つの流れがあった。
一つは佐保田鶴治のアシュタンダヨーガ、もう一つが沖正弘の沖ヨガである。
沖正弘の事を知らない人も多いと思うが、彼は間違いなくグレートマスターである。
沖正弘のエネルギーには、まったく汚れがない。
煩悩というものが何もないのだが、あんなエネルギーは沖正弘以外には出会ったことがない。
沖ヨガについては、また別の機会に詳しく書きたいと思う。
沖ヨガは、ヨーガ団体でありながら、オウムよりもかなり前に、宗教法人の認証を取得している。
今はもうないが、当時、沖ヨガの本部道場は三島にあった。
それはヨーガ教室などというものとは、全く別物だった。
ポーズや呼吸法を行うのがヨガなのではなく、生活そのもの、生きる事そのものをヨガにする。
という沖正弘の方針により、泊まり込みの集団生活を送るという一種類のメニューだけだった。
スタッフたちは、オウムの出家者のような集団生活をしており、沖正弘の事をグルと呼んでいた。
挨拶は「オウム」。(笑)
受付の窓口で、「すみません。」と声をかけると、中から「オウム」と返されてビックリしたものだ。
沖正弘もまた、講話の前には合掌して、一声「オウム」と言ってから話を始めていた。
講話の後に質疑応答を行うのもまた、オウムと同じシステムである。
食事は原則として、一日一食。
朝五時に起きて、般若心経の読経、道場の清掃、アーサナ、プラーナーヤーマ、武術の稽古、瞑想など盛りだくさんのメニューが夜11時まで続く。
一般の参加者も、道場の清掃だけでなく、食事の後片付けの洗い物、風呂場の掃除、シーツの取り換えなど、様々なバクティーをやらされた。
ある時、古くなった洗濯機を、近くの川原に捨てに行ったことがある。
それがグルの指示なのか、スタッフの独断だったのかは定かではないが。(笑)
スタッフと一緒に、えっちらおっちら、川原まで行って戻って来たのだが、後に清流精舎で川原にオウムのゴミが捨てられているのを見た時、沖ヨガ道場での事を思い出したものだ。