オウムはなぜ消滅しないのか⑨ | 法友(とも)へ

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昭和の時代、日本のヨーガには大きな二つの流れがあった。

 

一つは佐保田鶴治のアシュタンダヨーガ、もう一つが沖正弘の沖ヨガである。

 

 

沖正弘の事を知らない人も多いと思うが、彼は間違いなくグレートマスターである。

 

沖正弘のエネルギーには、まったく汚れがない。

 

煩悩というものが何もないのだが、あんなエネルギーは沖正弘以外には出会ったことがない。

 

沖ヨガについては、また別の機会に詳しく書きたいと思う。

 

 

沖ヨガは、ヨーガ団体でありながら、オウムよりもかなり前に、宗教法人の認証を取得している。

 

今はもうないが、当時、沖ヨガの本部道場は三島にあった。

 

それはヨーガ教室などというものとは、全く別物だった。

 

ポーズや呼吸法を行うのがヨガなのではなく、生活そのもの、生きる事そのものをヨガにする。

 

という沖正弘の方針により、泊まり込みの集団生活を送るという一種類のメニューだけだった。

 

 

スタッフたちは、オウムの出家者のような集団生活をしており、沖正弘の事をグルと呼んでいた。

 

挨拶は「オウム」。(笑)

 

受付の窓口で、「すみません。」と声をかけると、中から「オウム」と返されてビックリしたものだ。

 

沖正弘もまた、講話の前には合掌して、一声「オウム」と言ってから話を始めていた。

 

講話の後に質疑応答を行うのもまた、オウムと同じシステムである。

 

 

食事は原則として、一日一食。

 

朝五時に起きて、般若心経の読経、道場の清掃、アーサナ、プラーナーヤーマ、武術の稽古、瞑想など盛りだくさんのメニューが夜11時まで続く。

 

一般の参加者も、道場の清掃だけでなく、食事の後片付けの洗い物、風呂場の掃除、シーツの取り換えなど、様々なバクティーをやらされた。

 

 

ある時、古くなった洗濯機を、近くの川原に捨てに行ったことがある。

 

それがグルの指示なのか、スタッフの独断だったのかは定かではないが。(笑)

 

スタッフと一緒に、えっちらおっちら、川原まで行って戻って来たのだが、後に清流精舎で川原にオウムのゴミが捨てられているのを見た時、沖ヨガ道場での事を思い出したものだ。