昔、麻原が言っていたことをいくつか思い出す。
「君たちは、私を理解することは出来ない。」
「もし、私を理解出来るようになったなら、その時は私と同じ存在になっているだろう。」
麻原だけではない、教義もまた同じ。
麻原と同じ存在にならない限り、教義を理解することは出来ない。
また、教義が正しいかどうかも、絶対に証明出来ない。
これは証明がどういうものかを考えてみれば分かる。
証明とは、現象界に限定されたものであるために、解脱という現象界を超えたものを証明することは不可能なのだ。
あとは論理的に理解するか、ただ単に信じるかだけだ。
いずれの場合も、実践に応じて、必ず結果が出る。
さらに、麻原は、「君たちが無智だから法則を説けないじゃないか。」と嘆いていた。
僕もそう思う。(笑)
このブログのタイトルは「法友へ」である。
「オウムへ」でもなければ、「サマナへ」でもなければ、「信徒へ」でもない。
基本的にはクンダリニーヨーガの成就者へ向けたものであり、ステージの低い者達には難しい内容になっている。
というか、全く理解できないだろう。(笑)
まあ、そういう人たちのために、行法解説を行っているのだから、とりあえずクンダリニーヨーガを成就してから教義について話をすべきである。
僕ももっと具体的な方法について説きたいのだが、あまりにも無智なコメントばかりで、いつまでたっても先に進めないのだ。