ネットをうろうろとしていると、色々と目に留まる事がある。
オウムで言うところの神秘体験とは、全て脳内現象である。
これは絶対的に正しい。
そして、ここで普通は止まる。
いわゆる、思考停止状態に陥るのだ。
それ以上の事は考えることは出来ない。
しかし、修行者はそこからさらに考え続ける。
神秘体験は、経験した事がない人には理解しがたいかもしれないが、ある意味現実以上にリアルなのだ。
あれだけのリアルな体験が脳内現象であるのなら、今、この現実だと思っている世界は、脳内現象ではないのだろうか?
その答えはイエスである。
現実が脳内現象であるという事は、絶対的に正しい。
神秘体験は脳内現象、現実もまた脳内現象。
これが仏教でいうところの、色即是空である。
つまり、神秘体験が意味を持つのは、色即是空を悟るためにあるということになる。
全ては、感覚で知覚し、脳で認識出来なければ、何も存在しない。
理科系ではない人はにわかには信じがたいかもしれないが、この世が存在している事は、誰にも証明出来ない。
証明出来るのは、その人が知覚し・認識しているという事だけである。
自分以外に他の人も認識していると考えるかもしれないが、それは「他人が認識しているということ」を自分が認識しているに過ぎない。
どこまで行っても、証明できるのは自分が認識しているという事だけなのだ。
これを麻原は、感覚が無ければこの世界は存在しない、と説いた。
僕にとってはどうと言う事はないのだが、一般の人にとってはオウムの教義はとてもじゃないが理解できるものではないのだろうと思う。
麻原はいったいどうして、こんなにも複雑な教義体系を作り上げたのだろうか?
修行の目的は、心の作用を止滅させる事にある。
心を止めるとは、すなわち脳を超えるということである。
これは当たり前の話だ。
脳は肉体の一部である、いつまでも肉体にとらわれたままで、解脱もへったくれもないではないか。