地下鉄サリン事件に使用されたサリンの製造において、これがオウムが最後に製造したサリンになるわけだが、それ以前とはちょっと違った製造方法になっている。
通常は、メチルホスホン酸ジフルオリドにイソプロピルアルコールを滴下するのだが、この時はメチルホスホン酸ジクロリドとメチルホスホン酸ジフルオリドの混合液にイソプロピルアルコールを混ぜ合わせている。
なぜこんなことしたのだろうかと思っていたが、高校の化学ので習う事、教科書に書いてある事でその謎は解けた。
その答えは実に単純で、フッ素>塩素というだけの事だ。
メチルホスホン酸ジクロリドとイソプロピルアルコールが反応してもサリンにはならない。
しかし、メチルホスホン酸ジフルオリドとイソプロピルアルコールが反応すると、フッ素が取り出せる。
そのフッ素が、メチルホスホン酸ジクロリドと反応すると、塩素がフッ素に置き換わり、メチルホスホン酸ジクロリドはメチルホスホン酸ジフルオリドへと変わる。
メチルホスホン酸ジフルオリドに変わったのであれば、イソプロピルアルコールと反応してサリンが出来る。
この循環を上手く利用出来ると思って、一見関係のないように見えるメチルホスホン酸ジクロリドを加えたのだろう。
だが、ここでひとつ大きな問題が起きる。
メチルホスホン酸ジフルオリドだけでイソプロピルアルコールを加えた場合、発生する酸はフッ化水素である。
しかし、メチルホスホン酸ジクロリドを加えた場合に発生する酸は塩化水素、すなわち強酸の塩酸である。
地下鉄サリン事件のサリンを作ったのは、遠藤と中川である。
この二人は、土谷のような職人技は持ち合わせてはいない。(笑)
なので、強酸の発生を含む激しい反応が一気に起こり、松本サリン事件のサリンの製造の時以上に大量の不純物が混ざる事となった。
そのため、青いサリンどころではない、茶色いサリンが出来上がってしまったのである。
こうやって高校の化学を使って、サリンの製造を一通り見てきたが、改めて日本の教育レベルの高さに驚かされる。
現代の日本では、ほぼ全員が高卒以上の学歴を持つ。
つまり、日本国内だけでも、サリンを作れる能力を持つものは、数千万人はいるという計算になる。
だから、サリンの製造を未然に防ごうと思うのなら、マークすべきは医者とその治療薬の流れである。
サリンの材料は一般人でも手に入るが、その治療薬は一般人では手に入らない。
オウムが起こしたいくつかの毒ガス事件においても、最も重要な人物は、中川だったのだから。