イソヒヨドリのオスの鳴き声がパッタリと途絶えてしまった。
時折、「ヒッ、ヒッ、ヒッ」と、メスの鳴き声だけが遠くから聞こえてくる。
これは一体、どういうことなのだろうか?
イソヒヨドリの恋の季節は、終わってしまったということなのだろうか?
しかし、終わってしまったのであれば、メスが鳴き続けているというのはつじつまが合わない。
メスの鳴き声が聞こえるのに、オスの鳴き声だけが聞こえない。
現状はそういうことになる。
普通に考えれば、オスはパートナーを見つけてつがいになり、どこかで巣作りに励んでいる。
そういうことなのではないだろうか。
だが、しかし、それはそれで、また不思議な気がする。
人間界もそうなのだが、一般的には、生き物の世界はオスのほうが数が多い。
という事であれば、メスがいなくなってオスだけが残されてしまう。
そうなるのが自然に思える。
ところが、実際にはその逆で、オスだけがいなくなってメスだけが取り残されてしまっている。
う~む、どういうことなのだろうか?
まあ、これが僕のいつもの癖で、何も意識しないと脳が勝手に色々と考え始めてしまう。(笑)
オウム時代も、いつも自分の頭で考えてばかりいたなあ。
それを麻原は、智慧があると認めてくれたんだけどね。
今回のケースでは、この問いには答えは出ない。
普通の人間なら、何らかの問いには答えを出したがる。
そして、おかしな結論をだして、それを誤ったまま記憶してしまう。
ところが、僕は問いに対して結論が出ないことには、まったく平気である。
事実を事実のままに途中まで記憶しておいて、新たな情報が手に入った時に、前の情報に関連付けて思考を再開する事が出来る。
そこで答えが出なくても、またその先へと思考を繰り越せる。
オウムの教義を理解するには、この能力が絶対に必要なのだが、自分以外にこの能力を持ったオウム関係者には、いまだに出会ったことがない。