相対的な考え方ではなく絶対的な考え方をするという以外にも、オウム独特の考え方はいくつかある。
例えば、宗教とはどのようなものか、という考え方である。
宗教は科学である。
そういう考え方もあるが、オウムではそうは考えない。
宗教を超えたものが科学である。
超科学こそが宗教であると考えるのだ。
また、宗教と道徳の違いについて。
これは、道徳の終着点が宗教の出発点である。
そういう考え方をする。
つまり、宗教には道徳的要素はない。
そういう事になる。
また、人生の意味や価値について。
これは、人生には全く価値がないと考える。
なぜなら、世の中のすべての不幸の原因が、人生に価値があると考えるところから起こっているからだ。
これもまた観念の崩壊という事になると思うが、人生に価値があると考えると、必ず他との比較が起こる。
自分と他人を区別して、自分の方が価値があるとか、他人は価値がないという考え方をしてしまう。
他人よりも自分の方が価値があると考えることで幸福を感じる。
そして、一旦価値があるという考え方をしてしまうと、全ての人の行動と結果に同じだけの価値があると考えることは出来なくなる。
受験でも、就職でも、国家試験でも、なんでも同じ事だが、合格と不合格が同じ価値であるという事などありえない。
その価値の差から差別が起こり、強者が弱者から搾取するという構図が成立する。
価値のある者は、価値のない者から奪うことが出来るのだ。
同じような考え方をする人々が、その考え方を容認してしまう。
では、人生すべてに価値がないとすれば、どういうことになるだろうか?
合格には価値がない。
不合格にも同じように価値がない。
どちらにも価値がない。
ゼロイコールゼロ。
そこには、上下・優劣といった差別が存在しない。
自と他の区別も存在しない。
ではなぜ、人生には価値がないと言えるのだろうか?
それは、「一切皆空」、全ては幻影であると考えるからである。
だからと言って、人生に意味がないというわけではない。
人生には、人生に価値がないという事を知る意味があるのだ。