では、先ずシヴァ神の説明から。
シヴァ神とはグルの中のグル、グルのグル、一番最初のグルの事である。
オウムの教義を理解する重要なポイントのひとつが、その考え方が相対の世界ではなく、絶対の世界であるという事にある。
なので、我々が住むこの相対の世界とは、根本的に違う考え方をする。
それを理解するために、観念の崩壊が必要になる。
相対的な世界においては、幸・不幸はその世界と同じく相対的なものである。
つまり、他人との比較によって、幸せかどうかが決定する。
ところが、修行者が求めているのは、そんなあやふやなものではなく、絶対的なものである。
いわゆる絶対幸福である。
では、そもそも幸福とは何なのか?
人は欲求を満たすことによって満足し、幸福感を得る。
まあ、要するに、一般的には煩悩を満たすことが幸福であると考えられている。
ところが、修行者はそうは考えない。(笑)
人が幸福を感じるという事は、どういう事なのか?
その事をもう少し、掘り下げて考えてみるのである。
欲求を満たす、煩悩を満足させる、とはどういうことなのか?
欲求を満たす、煩悩を満足させることによって、何が起こっているのか?
そう考えるのだ。
欲求を満たす。
その瞬間に、わずかな時間ではあるが、その短い時間の間だけ、欲求が消える。
そして、欲求が消えている間だけ、人は幸福を感じている。
修行者はそう考える。
つまり、欲求を満たすことが幸福なのではなくて、欲求が消えたことが幸福なのだと考えるのだ。
もし、煩悩を滅する事が出来たならば、欲求が消えた状態がずっと続くことになる。
欲求が消えたまま、ずっと幸福でいられる。
これがすなわち、修行者が求める絶対幸福である。