帰依④ | 法友(とも)へ

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では、先ずシヴァ神の説明から。



シヴァ神とはグルの中のグル、グルのグル、一番最初のグルの事である。


オウムの教義を理解する重要なポイントのひとつが、その考え方が相対の世界ではなく、絶対の世界であるという事にある。


なので、我々が住むこの相対の世界とは、根本的に違う考え方をする。


それを理解するために、観念の崩壊が必要になる。



相対的な世界においては、幸・不幸はその世界と同じく相対的なものである。


つまり、他人との比較によって、幸せかどうかが決定する。


ところが、修行者が求めているのは、そんなあやふやなものではなく、絶対的なものである。


いわゆる絶対幸福である。



では、そもそも幸福とは何なのか?


人は欲求を満たすことによって満足し、幸福感を得る。


まあ、要するに、一般的には煩悩を満たすことが幸福であると考えられている。


ところが、修行者はそうは考えない。(笑)



人が幸福を感じるという事は、どういう事なのか?


その事をもう少し、掘り下げて考えてみるのである。



欲求を満たす、煩悩を満足させる、とはどういうことなのか?


欲求を満たす、煩悩を満足させることによって、何が起こっているのか?


そう考えるのだ。



欲求を満たす。


その瞬間に、わずかな時間ではあるが、その短い時間の間だけ、欲求が消える。


そして、欲求が消えている間だけ、人は幸福を感じている。


修行者はそう考える。



つまり、欲求を満たすことが幸福なのではなくて、欲求が消えたことが幸福なのだと考えるのだ。


もし、煩悩を滅する事が出来たならば、欲求が消えた状態がずっと続くことになる。


欲求が消えたまま、ずっと幸福でいられる。


これがすなわち、修行者が求める絶対幸福である。