思わぬ展開に⑦ | 法友(とも)へ

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さて、本題に入る前に、今回の講演で個人的に最も驚いたことについて書いておこうと思う。


この記事は、色々と大人の事情があるかもしれず、明日には削除かアメンバー限定になっていると思う。




皆さんご存知の様に、同じ事件で死刑が確定している場合、死刑囚たちは同じ日に刑が執行される。


オウム事件で死刑が確定している13人は、全員が東京拘置所にいる。


1日で執行するには、13人は数が多すぎる。



死刑執行の手続きは複雑多岐にわたっており、その中身はまさにブラックボックスであり公開されることは無い。


国民は、刑が執行された後に、その事実を知るだけである。


当然、死刑囚も自分の身が、今、誰の掌の上で転がされているのかを、知る事は出来ない。



ところが、死刑囚本人が、そのことを知る機会があるのである。


死刑執行自体は、当日にならなければ分からない。


しかし、その日が近い事は、ある事実によって知ることが出来る。



もう、ここまで書けば勘のいい人にはお分かりだろう。


日本全国にある、死刑を執行出来る拘置所は、全部で7ヶ所。


東京拘置所だけでは数が多すぎるのだから、その内の何人かを他の拘置所へ移送する必要がある。



皮肉なことにと言うべきか、東京拘置所で刑が執行される死刑囚は、自分の刑の執行が近いことを知る事が出来ない。


それを知る事が出来るのは、移送の通知を受けた死刑囚だけである。


そして、来たのだ。


その通知は、中川のところへ。



2012年の事だそうだ。




ここから、様々なことを考えることが出来るし、疑問も浮かんでくる。


マニアにとってはとても興味深いネタだと思う。



2012年ということは、平田が出頭した後である。


平田が出頭した後に死刑の手続きが進んでいたということは、平田の出頭は麻原の死刑を延期する手助けにはなっていないことになる。


それよりも何よりも、2011年の末ぐらいにはオウムの死刑囚全員の、死刑を執行する手続きが進んでいたということを意味する。


しかもそれが、なぜか2012年以降になって、執行が回避されているのだ。


これは一体、どういうことなのだろうか?


当時は民主党政権だが、誰が何をしたというのだろうか?



そして、遅れてきた3人の裁判に証人として登場した井上の事である。


まるで司法取引でもしたかのように、それまでの証言を翻している。


もしかしたらだが、井上のところにも移送通知が来たのだろうか?



井上は、13人全員の同時の死刑執行など出来ないと考えていた。


しかし、日本国政府はやるつもりでいた。


そのことを知って、恐怖に駆られて命乞いをし始めた。


そういうことは考えられないだろうか?



分からない事だらけだが、事実は2012年に中川に移送通知が来た。


ということである。