コメントがあったので書いておこう。
オウム真理教において、成就者の認定が出来るのは麻原だけである。
これは麻原が偉大だとかどうかということではなく、論理的にそうなっているということだ。
オウムの教義は麻原が生み出したものであるために、麻原以外の者が成就認定をすることは論理的に不可能なのだ。
だから当然の事なんですが、僕が自分から「マハームドラーを成就しました。」
とか「私は最終解脱した。」なんてことは言えないのですよ。
これがオウムじゃなくて、僕が自分で「アール神仙の会」とか「アール真理教」とかを作れば、もちろん自分で自由に宣言することが出来る。(笑)
ダンテスダイジは最終解脱したと宣言しているが、それは当然の事であるがオウムの教義によるものではない。
自分で作った教義体系であれば自分で自由にしてよい。
そこは表現の自由。
が、しかし。
麻原が逮捕された後に、雨後の筍のように一般人が次々に最終解脱宣言をしたが、あれはなんだかなあという気がする。
その人たちって、自分で作り出した教義を持っていないよねえ。
なにをもって最終解脱だと言っているのだろう?
お茶でもお花でもそうだと思うんだけど、まったく関係のない人が「私は免許皆伝した。」
とか「私が今日から家元だ!」
とか言い出したら、おいおいってことになりそうだ。
ところがどっこい、オウムだとそうはならないんだよなあ。(笑)
みんな精神世界の事を知らなさ過ぎるからなあ。