続きまして、ナウリを使ったタントラの秘儀に入るわけだけども、その前にエネルギーを漏らす事の説明を。
前にも書いたけど、問題になるのは出すことよりも、その後の精子の製造にエネルギーを取られてしまうこと。
霊的エネルギーも肉体的エネルギーも、元をただせば同じところから来ているので、肉体的なエネルギーのロスは大きいということになる。
これは心の働きによるエネルギーのロスにおいても同じで、元は同じところから来ている。
エネルギー状態の底がやって来るの、漏らした直後ではなく2日後あたりになる。
1日で精子は数千万から1億ぐらい作られており、3日から数日ぐらいでだいたい満タンになる。
これが男と女の違いであり、女の場合は約1ヶ月で500万の細胞を製造するのに対して、男の場合はその何百倍もの細胞を作り出している。
従って、男の場合は漏らすと致命的、女はそうでもない。
男の場合は漏らすことを止めることが出来るが、女の場合は止められない。
そのため、生理を止める修行法という考え方になる。
で、ヨーガ根本経典に書かれているタントラの秘儀なのだが、勘のいい人はすでに分かっていると思うが、要するに出したものをもう一度吸い込むということである。(笑)
吸い込んで元に戻し満タンの状態を保てば、エネルギーのロスはないという考え方である。
そのやり方は、まず立たせる。
そして、先端からゴムだかなんだかの木の、柔らかい枝を差し込む。
細い枝から段々と太くしていき、尿道を広げるということである。
まあ、これは病気や怪我などで動けない時に、現代医学でも普通に行われているようではある。
聞いた話だと、看護婦さんに細いチューブを渡されて「舐めて下さい。」
と言われたらしい。
その後、自分で立たせますか?こちらでやりますか?
と聞かれたので、「あ、お願いします。」
と答えたところ、いきなりバチン、バチーンと平手打ちを何発も股間に打ち込まれたらしい。
「痛ててっ!」
と叫んでも後の祭り。
そんな悲しい状況でも、それでも男は立ち上がるのであるが、頃合を見計らって今度はぐりぐりぐりっとチューブをねじ込まれる。
これがまた、痛いのなんの。
人間というものは他人の痛みには無頓着だからそうなるのだが、自分で木の枝を差し込む場合はちゃんと加減が出来るので何も問題はない。
それにしても、インド人の発想のユニークさには恐れ入る。
日本人は今後1,000年経っても、彼らには追いつけないだろう。
で、そのやり方はバスティのときと同じである。
出した後、そのままの体勢からのナウリを行い、先端から吸い上げるのである。
メデタシ、メデタシ。