昔話⑥ | 法友(とも)へ

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麻原は、修行者にとって大切なのは「性欲絶倫」であると言っていた。


しかし、まあ、こういう面白い内容の説法が表に出てこないのは、どういう訳だろう?



ここで重要な事は、「精力絶倫」ではなく、「性欲絶倫」であるということである。


オウムの修行において、クンダリニーというものは、重要であるというどころではなく、これなくして修行は有り得ないといってもいいぐらいである。



そして、そのクンダリニーとは生命エネルギーであるのだが、その本質は性エネルギーであり、すなわち性欲である。


性欲が弱いとは、クンダリニーのエネルギーが弱いということであり、そんな性欲の弱い奴にオウムの修行をする資格はないのである。



オウムの修行はまさしく性欲を強める修行であり、神をも恐れぬ性欲の持ち主こそが、偉大なる修行者なのである。


しかし、精力絶倫ではない。


人を超えた桁外れの性欲を持ちつつ、接することなかれ、触れることなかれ、なのである。



ある女子Aを見て、性欲発動。


エネルギー上昇、気持ちいぃ~。


また、他の女子Bを見て、これまた性欲発動。


エネルギーが回り、甘露が滴り、歓喜状態。



ということなのだが、麻原はひとりでこっそり精力絶倫になっておった。


なんてこったい!