麻原は、修行者にとって大切なのは「性欲絶倫」であると言っていた。
しかし、まあ、こういう面白い内容の説法が表に出てこないのは、どういう訳だろう?
ここで重要な事は、「精力絶倫」ではなく、「性欲絶倫」であるということである。
オウムの修行において、クンダリニーというものは、重要であるというどころではなく、これなくして修行は有り得ないといってもいいぐらいである。
そして、そのクンダリニーとは生命エネルギーであるのだが、その本質は性エネルギーであり、すなわち性欲である。
性欲が弱いとは、クンダリニーのエネルギーが弱いということであり、そんな性欲の弱い奴にオウムの修行をする資格はないのである。
オウムの修行はまさしく性欲を強める修行であり、神をも恐れぬ性欲の持ち主こそが、偉大なる修行者なのである。
しかし、精力絶倫ではない。
人を超えた桁外れの性欲を持ちつつ、接することなかれ、触れることなかれ、なのである。
ある女子Aを見て、性欲発動。
エネルギー上昇、気持ちいぃ~。
また、他の女子Bを見て、これまた性欲発動。
エネルギーが回り、甘露が滴り、歓喜状態。
ということなのだが、麻原はひとりでこっそり精力絶倫になっておった。
なんてこったい!