ダンテスダイジ⑫ | 法友(とも)へ

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とりあえず、軽く解説をしておきますかね。



修行者にとって、転輪聖王はただの煩悩に過ぎないので、ここまでは問題ないと思う。


重要なのはその先。


究極を求めるという心が迷いだったと言っている。



これは全くその通りだ。


解脱したいという欲求がある限り解脱はしない。


解脱とは、何も欲求がなくなった状態をいうのだから、解脱したいという欲求が残っているということは、まだ解脱していないということを意味している。


これは、心を止めようとして、そう心に思い続けるというのと同じことだ。


ダンテスダイジは、究極を求めるという心が迷いだったと言っている。


まさに解脱者ならではの言葉だといえる。



そして、さらにその後。


何一つ問題はなかった。


全ては完璧だったんだ。



素晴らしい。


これが録音されたのが、今から30年も前の事だとはとても信じがたい。


ダンテスダイジは天才だった。


そう言うしかないのではないだろうか。



そしてここで、麻原との決定的に違う考え方が明らかになる。


麻原はこの世は苦しみの世界であり、救済しなければならないと考えた。


それに対して、ダンテスダイジはこの世には何も問題はないと言っている。


はっきり言って、一般の人には悪い冗談にしか聞こえないだろう。


この余りにも不完全な世の中の、一体どこが完璧だというのか。



ダンテスダイジの教えが世の中に広まらなかった理由が分かる気がする。