帰依 | 法友(とも)へ

法友(とも)へ

ブログの説明を入力します。

正直、書くのにあまり気が進まない。


書くのが難しいのではなく、多分大勢の人が誤解するだろうなと思うからだ。


オウムの教義について誤解するだろうし、僕についても誤解するだろう。



まあ、慣れていると言えなくもないのだが。(笑)


警察や公安調査庁と何度も話をしたことがあるが、いつも問題になるのは僕がオウムについて詳しすぎることだ。


特にオウムの教義の事細かな部分についてまで、詳しく解説できてしまうからだ。




というわけで、気が進まないけれど、帰依について解説してみましょう。(笑)



帰依というのは信じるということではない。


正しいから帰依するというものでもない。


何らかの見返りを求めるものでもない。



麻原が言ったように、対象がグルであるのなら、グルになりきることだ。


そこには、グルと自分との区別はない。


例えば人が右手をあげる時、その右手はその人の意思に反するだろうか?


これが帰依である。



信じる必要もない。


正しい必要もない。


見返りを求める必要もない。


この時の心の働きが、絶対的に不動の状態であることが分かるだろうか?



したがって、その対象はグルである必要すらない。


いわしの頭でもいいし、犬のうんこでも全く問題がない。


求めているのは、絶対的に不動の状態の心であるということだ。


これをオウムでは、金剛心と呼ぶ。



正しいグルを見つけたら、その時に帰依すればいいじゃないかという意見もある。


これは、プロ野球選手になってから野球のボールに触れると言っている様なものだ。


普段から帰依の訓練が出来ていない者が、その時になって帰依など出来るはずもない。



と、まあ、そういうわけで、皆さん誤解してしまったことでしょう。(笑)