89年の末のことだったと思う。
出家して初めての極限修行に参加することとなった。
あの頃は若かったねえ、というお話である。
一口に心臓が止まると言っても、一般人は「へ~、心臓が止まるんだ。」で思考停止してしまって、その先を考えることはないだろう。
まあ、普通は何を言っているのか、意味が分からないだろうなとは思う。
それが何であるにせよ、止まるということを認識するためには、止まる以前にそれが動いていたということを認識出来ていなければならない。
動いている、動いている、動いている、・・・・
動かなくなった。
この動かなくなったが、止まるということである。
したがって、動いているということの認識なしに、止まるということの認識は絶対に不可能である。
さて、それでは読者の皆さんは、自分の心臓が動いているという認識をお持ちだろうか?
まあ、生きているんだから、多分動いているんだろうな。
そんな感じではないだろうか。
脈をとらない限り、自分の心臓が動いているのを知覚することは出来ない。
それが普通。
なのだが、修行者はちょっと違う。
修行者は、脈も取らずに自分の心臓の拍動を知覚し、止まる瞬間を知ることが出来る。
止まる音を聞くのではない。
動く音が消えるのを知覚するのである。