麻原回帰とグルイズム | 法友(とも)へ

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死刑執行について書いたので、これもついでに書いておこう。



僕から見ればよく分からんのだが、麻原回帰という言葉をテレビで見ることがある。


極めて曖昧な言葉に思えるのだが、麻原回帰とは一体何に回帰するのだろうか?



普通に考えれば麻原の行動は一貫性が無く、「麻原」ではあまりにも範囲が広すぎて何を意味するのかが分からない。


これは例えば日本回帰における「日本」という言葉と同様である。


まあ、人間というものは、自分が感じていることを他人に押し付けることしか出来ない生き物であることは確かであるが。(笑)



まあ、そんなことはどうでもいいとして、


アレフの行動が麻原回帰だとかグルイズムとかいう人がいるようだが、僕から見ればそれは違う。


なぜなら、オウムの教義は麻原が絶対であり、その家族は絶対ではないからだ。


家族は所詮、麻原の弟子の一人に過ぎない。



家族は麻原がいてこそ、その権力を与えられているのであり、それは四女の本にも出てくる通り、麻原がお尻を叩いたのは麻原の子供だというだけで教団内で絶対的な権力を持っていることへの戒めだった。


そしてアーチャリーも、あまりにもサマナに暴力的になってしまったために、独房修行に入れられたことがあるのだ。



ヴァジラヤーナの説法の時に、麻原はこう尋ねた。


「私がアーチャリーをポアしてこいと言ったら、お前たちはどうするか?」


僕は内心「きついなあ、それは。」と思っていたが、誰もその質問には答えられないでいた。



そこで麻原は村井に「お前ならどうする?」と聞いた。


「いや、それは。」と言いよどむ村井に麻原はこう言い放った。


「お前は私の直弟子ではない。」


「私の真の弟子なら、直ぐに実行に移せるはずだ。」



これがオウムの教義である。


もし今のアレフが家族の言いなりになっているとしたら、それは麻原回帰でもグルイズムでもなく、その辺のどこにでもあるただのカルト集団に過ぎないということになる。