90年にオウムが上九に進出し、最初の生物化学兵器の研究・開発を行ったのがボツリヌス菌である。
全てはボツリヌスから始まったのだ。
教団の末期になってテロを起こしたのではなく、90年からずっとテロを起こし続けて失敗し続けていただけである。
サリン散布にしても合計で5回行われており、そのうちの2回だけが成功したということなのだ。
石垣島セミナーのときに、オウムは本気でテロを起こすつもりでいた。
事件にならなかったのは、それが失敗したという理由からだけである。
これは水鉄砲のたとえがまさにピッタリくる。
殺意をもって水鉄砲を人に向けて撃ったとしても、人を殺すことは出来ない。
しかし、殺意はあった。
90年からずっと、オウムはまさにこれだったのだ。
90年から教団の崩壊まで、オウムは繰り返し様々な生物化学兵器の研究・開発を続けてきた。
幹部達はそれを知っており、末端のサマナや信徒たちを騙し続けてきたのだ。
全ては麻原の救済計画を実行するためにである。
教団の末期になって麻原はオウムを潰そうとしたのではない。
麻原は初めから教団を潰すつもりだったのだ。
石垣島セミナーのときにどれだけ本気だったのかは、地下鉄サリン事件と比較してみればよく分かる。
地下鉄サリン事件のときは、動くに動けなかった状況にはあったといえるが、誰にもどこにも避難しろとは指示が出ていない。
なぜなら、サマナも信徒も安全だと判断したからだろうと思う。
ボツリヌスの毒性はサリンの1万倍である。
しかも、地下鉄サリン事件のときのサリンの純度は35%しかない。
つまり、石垣島セミナーのときのボツリヌスの散布計画は、地下鉄サリン事件の少なくとも3万倍の被害を想定していたことになる。
オウムは本気で東京を廃墟にするつもりだったのだ。
オウムが手に入れたと思っていた強力な兵器。
しかしそれは、水鉄砲だったのである。
オースチン彗星に関する説法はやたらと予言のことばかりがクローズアップされているが、その説法で麻原はこう言っている。
「一つだけ言っておこう。君たちの知らないオウム真理教の部分があるということだ。それは君たちがちゃんとこのように修行できるために、その人たちは、日夜、どのようにしたら君たちが本当に修行ができるか、あるいは、多くの魂が修行できるかということを考えている一群があるということだ。そして、その人たちはヴァジラヤーナの道を歩かなきゃなんない。」
どうやら僕はこの一群に選ばれてしまったようなのだ。
もし僕が94年9月に教団を離れることがなかったなら、遠藤や中川、広瀬たちと同じ運命をたどっていたのかもしれない。
麻原はここではっきりとヴァジラヤーナという言葉を使っている。
教団は末期になってヴァジラヤーナになったのではない、少なくとも90年の春にはすでにヴァジラヤーナだったのだ。
教団が支部活動に力を入れたのは生物化学兵器を作り出せる優秀な人材を確保し、金を集めるため。
そして、それを手伝う労働力を供給するためだったのだ。
すべては90年の春、ボツリヌスの培養から始まった。
このことを知っておかなければ、オウムの教義を、なぜ事件が起きたのかを正しく理解することは出来ない。