【 いま あなたと 】



とある土曜日の夜


翌日に海水浴をひかえて

準備の買い物をしようと

車で外出していた時のこと



運転中 ラジオから

流れて来た メロディー


心の琴線に触れる様な

音色が聞こえてきた



新しく生まれてくる

熱い想いが爆発し


疲れた心に一瞬だけ

癒しを与えてくれた


歌い手の心に

自分の世界が

飲み込まれる


自分の世界観を 心ゆくまで

表現出来る アーティストは

なんて 幸せなんだろう  と

そこはかとなく 感じる





・・・お送りいたしました曲は、

堂本剛「いま あなたと 生きてる」

でした。・・・

(ラジオ番組のアナウンス)



どうしても 知りたくて

必死にネットで探したら


歌ってる人が

自分で作詞作曲した

ということも判明した。


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「 あなたは知らない

かもしれないけれど、


誰もがあなたと

生きてるんだよ


っていうことを


歌ってあげたいな

と思った。


孤独の質を変えたい

という思いもありますね 」


堂本剛 インタビュー記事より





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世の中の多くの人は

愛を求めてさまよい


かけがえない愛を求め

けなげに頑張っている


人はみな 愛を宝物として

命をかけて 守ろうとする




しかし 自分の世界を守るため

人を平気で 傷つける人もいる


それでは いくら愛を求めても

愛の本源から ほど遠く離れる


人も自分も癒されることなく

ただ虚しい世界だけが広がる





自分の全てを信頼する主に

ささげることが出来るなら

それほど幸せなことはない


世の中は非常に多くの人が

名前だけ神の民と名乗って

真実の愛を心に持ってない






自分自身が心から信頼している

神様への愛で ついて行くこと。


自分にできるベストをつくすのは

もちろん当たり前なこととして、

一番最高の仕事をしようと、人は

必死に色々と考えすぎてしまう。






神様にあって、創造性の爆発のような

熱い炎の様な燃える情熱がわきおこり、

どうしようもなく切なくなる時もある。

 





それは、かわいているから。





神様は、人への愛で飢え渇き、

「わたしは渇く」と言われる。


人も、神への愛に

飢え渇く必要がある。



情欲や感覚的な喜びから

離れられない人は、


世俗の垢に溺れて

流されてしまう。


自分の気に入らない

事態が発生すると


不満や怒りが爆発して

良心の呵責に悩む。


自分だけの陶酔した世界に

隠遁する人は救いようがない


自信に満ちている人であれば

他人の同意を必要としないし

孤独の中にも真実を見い出す


自己陶酔の世界に逃げる人ほど

周囲からの同意を求めてしまう


慣れ合いで傷を舐め合っても

決して心からの優しい愛情を

得られず 理解される事もない


自分に溺れ執着を捨てられない


現実世界でも称賛は獲得出来ず

心は傷を増して不満も減らない





それでは どうすれば

良いのだろうか?



心の平安を真に

獲得するためには、


自分の世界の全てを

主に開けはなつこと。



どんな人も愛されるために

この世界に生まれてきた。


どんな人も神様の愛を

自分の内に秘めている。


愛して愛されたいと嘆くより、

自分の愛の全てを捧げて

無限に力強い真の愛に

目覚める人は幸せ。


人の持つ創造性は、

神様の産み出す力の

表われの発露であり


形ではなく心を新しく

作り上げようとしている。





愛の爆発的な力を、

神様は祝福しておられる。



天の清い水できよめ、

燃えるように情熱的な

愛したいという気持ちを

よく見極めることが必要。



現実の仕事を良くしたいと望むなら

真の愛を宝物として求めれば良い。


誰も腐った垢に溺れたいとは

心の底では思っていないはず。


生き返った喜びと幸せを

多くの愛に反映させたいと

心から願う気持ちに偽りはないはずだから。



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愛の種を蒔けば愛の花が咲き

憎しみの種を蒔けば憎しみの花が咲く


恨みの種を蒔けば恨みの花が咲き

妬みの種を蒔けば妬みの花が咲く


自分の心がそのまま

花になるのだから


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わたしは一つの事を主に願った

わたしはそれを求める

わたしの生きるかぎり

主の家に住み

主のうるわしきを見て

その宮で尋ねきわめることを


詩篇 27篇 4節



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2015年 堂本剛 
いまあなたと生きてる

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情け無い顔 しないで
誰かと同じを 生きないで

あなたにだけ 歌える
世界を 教えてよ





どうにもならない あの日も
わけがあるのよ 逃げずに

あなたにだけ 歌える
世界を 教えてよ


恋して いいのよ
愛して いいのよ

・・・・・


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心から偉大な目標だと
自分が思うものに
身を捧げること。

言い換えれば、
自分自身が廃品同様に
ならないうちに

自分を心ゆくまで
使い切ってしまうこと。

それこそ「自然の力」である。
人生の真の喜びはここにある。

ジョージ・バーナード・ショー
の言葉より






台風21号の被害で、
関西国際空港も
大きなダメージを
受けていました。

大阪にあるGBCという教会、
ゴッド ブレッシングス チャーチ
によるビリー隊長を交えた
トレーニング礼拝が、
東京特別聖会として
昨日9/14金曜に開かれました。

チャリティーイベントとして
ビリーズブートキャンプで有名な
ビリー・ブランクスさんをお迎えして
とても盛況だった模様です。


それに先立つ九月九日には、
北海道地震の被災地へ飛ぶため
✈️関空から釧路に向かって✈️
飛び立とうとするメンバー達!

本当に、皆が心をひとつにして
お祈りすることは大切なこと。

「夢を叶える」ということは、
「理想を現実にする」こと。

それは、まぎれもなく、
「天なる神の王国を
 地上に建設する」こと。


心の平安を不動のものにして、
愛と希望と信頼に生きること。

愛ある励ましの笑顔は、
勇気と慰めを与えます。

希望を与える力強い行動は、
優しさといたわりのためです。

人が神様に信頼出来るのは、
共に助け合い、感謝のうちに
喜び合える仲間がいるから。

時には一人孤独な時も、長い
人生の中では学びになるもの。

しかしながら、
地上に生きることは
人との交わりを持つこと。

人付き合いをして、
助け合いながら
お互い学びながら
成長するのが人生の
醍醐味でもあります!



この夏、関西の台風直撃にあたり、
関西空港は大ダメージを受けました。
滑走路が水没して欠航便も出ています。

関西空港に繋がる
唯一の連絡橋には
タンカーが衝突し、
関西空港への道が
完全に遮断されました。



直後に起きた北海道の地震では、
多くの民家が停電し、山は崩れ、
沢山の被害が出てしまいました。

GBCの釧路礼拝という日程は
何ヶ月も前から決まっており、
今回、本当の神様を知るために
まだ救われてない人達が
たくさん来る予定でした。

メンバー達の意気込みとしては、

何としてでも釧路に行く‼️‼️‼️‼️
これは霊的戦いだ🔥🔥🔥🔥
サタンなんかに負けるか👊👊👊👊

という力強いものでした。


台風直撃で関西に被害が及ぶ中、
北海道は大地震による被害が発生。

毎日、毎日、みんなで祈って、
各地で連続して災害の起きる中、
釧路で礼拝を捧げることが出来ました!


わずか1週間にも満たない中で
こんなに沢山の状況に囲まれて、
本当に大変だったことでしょう。

でも、神様はどんな状況にあつても、 
やるべき事がきちんと行える道を
備え、用意して、整えてくれます。

本当に感謝です!

どれだけ沢山の人たちが、
夜も寝ずに働いてくれたことか。

災害の復興は緊急事態なため、
生活の復旧に向けては本当に
日夜、必死に頑張って働いて
くださっているのですから。


関空への唯一の道である連絡橋。




その連絡橋は、台風21号の際に
タンカーが衝突した爪痕が生々しく、
事故の凄さを物語っていました。

しかし、
関空に向かう途中には
虹が出たそうです。

涙が出るほど
美しく見える
虹の架け橋!


これからも、
大阪のGBCのみなさんは、
日本の国の救いを目指して
キリストの王国建設に向けて
天への道を進んでいくことでしょう。

広島のJMCNも、全世界に向けての
クルセード活動や海外からの来客を
迎え入れてのカンファレンスなどで
キリストの王国建設を進めて行きます!


【 慈しみ 深き 人 】


神様は常に、愛によって、
この世の人に本当の幸せを
与えようとされています。

慈しみの深い人と呼ばれる
イエス様が父と呼んでいる
神様は、慈しみと憐れみに
非常に富んでいる神様です。


人は、神様の望むままに
与えられた全てのものを、
慈しむことこそが大事です。

愚痴や不平不満を捨て去り、
信頼と安心で愛することです。


慈しみの心を持つこと。

思いやりの情けをかけ、
深くて広い心の愛を育て、
感謝して生きることにより
神に喜ばれる人になるのです。


そこには「愛しなさい」と
イエス様が教えられたていた
真の意味が含まれています。

そもそも「慈しむ」とは、
どのような事でしょうか。

偶像を礼拝したり、動物や
植物、その他の色々なものに
過度の愛情を注いだりして、

愛という名の執着を抱く事が
「慈しみ」なんかではない。

そうではなく、
人を、人として、
純粋な気持ちで
愛することです。

必要以上に愛情を持って
何かに入れ上げた所で、
神様の望む愛ではない。

そのような愛着やこだわりは、
真実の慈しみではありません。

好みのものに愛着することは、
慈しむことなんかではないし、
本物の愛情とは無関係です。

感情や感覚、つかの間の快楽、
一瞬だけの地位や名誉や栄光。

それらを愛したとしても
永遠に生きる事は叶わず、
朽ち果て滅び去るだけです。

人間に役立ってくれて、
それぞれ命を、すなわち
感覚と心を 持っている
小さなものに対して、

憐みと感謝の心を持つ
のが慈しみということ。

愛するということの
本当の意味なのです。

生き物を育てる際にも
慈しみの心を傾ければ、

それに応じた心をもって
愛と誠意が返ってきます。

人間なら、なおさらのこと。

慈しみを人に分け与えても
無駄な事にはなりません。

むしろ、情けをかけておけば、
やがていつかは巡り巡って来て
自分自身が情けをかけられます。

情けは 人のためならず。
回り回って返ってきます。

愛して、慈しみなさい。
あなたも 愛されますよ。

ただ、自分が良くしてほしいから
人に良くしてあげるのではなくて、
愛され救われたからこそ感謝して、
慈しみを施すことが 大切な事です。

イエス様が愛したのと同じ様に、
人々を愛することを望む人こそ
本物のキリストの弟子でしょう。

イエス様の活躍の後には、
真理と愛に仕える下僕達が
送られる事になっています。

この人達は、イエス様の
言葉を繰り返して語り、
世に広く福音を伝えます。

それは命を与える言葉です。

小羊達は、今も未来も、
イエス様の言葉を通して
愛と真実なる神の教えを
世の中に証して行きます。

愛することだけでなく、
愛され救われた教えを
人にも伝えて証します。

さまよっていた
可哀想な小羊も、

慈しみに導かれて
正しい道に入り、
永遠の命を得ます。

このような霊魂は
滅びることがない。

「誰も私の手から
彼らを奪い取ることは
できない」と主は言われる。


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ヨハネ福音書
10:27〜29

わたしの羊は
わたしの声に聞き従う。
わたしは彼らを知っており、
彼らはわたしについて来る。 

わたしは、彼らに
永遠の命を与える。
だから、彼らは
いつまでも滅びることがなく、
また、彼らをわたしの手から
奪い去る者はない。 

わたしの父が
わたしに下さったものは、
すべてにまさるものである。
そしてだれも父のみ手から、
それを奪い取ることはできない。 

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霊魂は、何よりも
自分達を命、真理、
そして、正しい道へと
導いてくれる人を必要とする。


神は、本当に
慈しみ深い方。

偽牧者による
怠慢のせいで

いくら探しても
神を見つけられない

可哀想な盲目の
霊魂に対して、
常に憐み深いお方。

神は、さまよっている
小羊のような霊魂たちに
あわれみをかけている。

イエス様は、その様な
私たちの救いのために、

十字架で苦しみ、死なれて、
復活してくれたのだから。

慈しみ深い方は、
単に愛に深いだけでなく
その愛を成就させるだけの
力強さをも持っています。

キリストの道を進むとは、
自分のこと以上に人を愛し、
慈しみの心を持つことです。

真の喜びと幸せを与え、
真の自由へと解放し、

憐れみと感謝の心が、
その愛によって人を
本当に救うのです。