最近、「ヨナ抜き五音音階」という言葉をネット上でよく見聞きしますが、「ヨナ抜き五音音階」とは一体どういうものなのでしょうか?

 

ヨナ抜き音階(四七抜き音階)は、明治以降の日本で使われる五音音階の一種であり、ヨナ抜き長音階とヨナ抜き短音階の2つからなる。明治初期は西洋音楽での音階である「ドレミファソラシ」を「ヒフミヨイムナ」と読んでいたので、そのヨとナを抜いた事から名付けられた。
とか
「ヨナ抜き長音階」は、西洋音楽におけるドを主音とする長音階(ドレミファソラシ)に当てはめたときにドから四つ目のファと、七つ目のシがない音階(ドレミソラ)のことで、同様に「ヨナ抜き短音階」は、ラからはじまる自然短音階(ラシドレミファソ)の四つ目のレと、七つ目のソがない音階(ラシドミファ)の事である。
 

などと解説されています。

 

「演歌」の旋律に特徴的な「ヨナ抜き五音音階」による音楽は世界中に最も多くその事例が見られます。

中国やアフリカの音楽からヨーロッパの民族音楽、アメリカのブルースまで、ほぼすべての音楽の伝統に登場するため、人類史上最も古い音楽構成要素のひとつと考えられています。

そもそも、日本の国歌「君が代」も、「ヨナ抜き五音音階」が使われています。

 

・演歌

日本ではレコード歌謡としての「演歌」がその代表であり、「影を慕いて」以降、この音階を使ってあらゆる演歌の名曲が作られており、演歌は現在でもヨナ抜き五音音階が主流です。

例えば最初のレコード歌謡である「船頭小唄」から「アンコ椿は恋の花」「北国の春」「夢追い酒」・・・・・等、戦後の昭和期にその隆盛を見た数々の「演歌」の名曲達、さらには21世紀になってから登場した氷川きよしさん、そして我らが市川由紀乃さんの「ノクターン」、さらに多分、新曲「朧」に至るまで、数え切れないほどのほとんどの「演歌」の曲は、ヨナ抜き五音音階で作られています。

また、「リンゴ追分」、「りんどう峠」、「達者でナ」、「津軽平野」などの民謡調演歌には、ニロ抜き短音階の曲もあります。

 

・唱歌
文明開化以降の明治14年に、西洋音楽を音楽教育に取り入れようとして最初の唱歌集である「小学唱歌集」が音楽の教科書として作成されましたが、そこには半分程度、外国の曲が載っていました。

しかし、その中では「ファ」と「シ」を抜いたヨナ抜き五音音階であるスコットランド民謡の「蛍の光」や「思いいづれば」だけしか普及しなかったようで、当時の人々はファとシを歌えなかったらしく、日本的な音感であるヨナ抜き五音音階の音感しか明治時代の人々にはなかった、ということがその理由だったようです。

このため、全て日本人による新作のヨナ抜き五音音階による唱歌が作られ、1910年(明治43年)の『尋常小学読本唱歌』から1944年(昭和19年)の『高等科音楽一』までの教科書に掲載され、尋常小学校で教えられました。

当時、文部省は「国」が作った歌であるということを強調したかったことから、作詞者・作曲者に高額な報酬を払い、名は一切出さずまた作者本人も口外しないという契約を交わしたため、作詞者、作曲者は不詳とされ、著作権は文部省が所有し、個々の曲の作者は伏せられている曲が多くありますが、中には作詞家としては高野辰之や佐佐木信綱、作曲家として岡野貞一等が明記されているものもあります。

この時期に作られた「ふじの山」「故郷」「春の小川」「朧月夜」「春が來た」「蟲のこゑ」「われは海の子」・・・等々、ヨナ抜き五音音階により作られた日本的情緒や美意識を歌う唱歌には、「文部省唱歌」として今の時代まで歌い継がれている数多くの名曲があり、これらは日本の宝と言っていいものだと思います。

 

・童謡

日本人による新作のヨナ抜き五音音階を用いた唱歌で作られた1910年(明治43年)の『尋常小学読本唱歌』から少し遅れて、1918年(大正7年)に児童雑誌『赤い鳥』が創刊され、その後には『金の船』など多くの児童文学雑誌が出版され、これを契機に作詞:西條八十、作曲:成田為三、同じく北原白秋と山田耕筰、野口雨情と本居長世等によりヨナ抜き五音音階による多くの「童謡」が作られ、現代まで歌い継がれています。

「夕焼けこやけ」「赤とんぼ」「サッちゃん」「こいのぼり」「桃太郎」「チューリップ」等々・・・。

 

・歌謡曲・J-POP
歌謡曲、フォーク、ニューミュージック、J-POPの中にも曲の一部、あるいは全体がヨナ抜き長音階で構成されているものが少なくなく、その中には、歌詞の世界観も含め「日本風」であることを意識したものがあります。
世界的に発信されたヨナ抜き五音音階の歌謡曲は「上を向いて歩こう」が最初ですが、Jポップとしては2000年代のPerfumeや、きゃりーぱみゅぱみゅ当りが最初の事例です。

「男はつらいよ」(渥美清)
「ブルー・シャトウ」(ジャッキー吉川とブルー・コメッツ)
「知床旅情」(加藤登紀子)
「上を向いて歩こう」(坂本九)
「ヨイトマケの唄」 (美輪明宏)
「木綿のハンカチーフ」(太田裕美)
「昴」(谷村新司)
「渚のシンドバッド」(ピンクレディー)
「春一番」(キャンディーズ)
「五番街のマリーへ」(ペドロ&カプリシャス)
「結婚しようよ」(吉田拓郎)

「千本桜 feat.初音ミク」
「恋するフォーチュンクッキー」(AKB48)
「恋」(星野源)
「笑顔」(いきものがかり)
「Beautiful」(Superfly)
「FLASH」(Perfume)
「強風オールバック」(ゆこぴ)

「LEMON」(米津玄師)
「死ぬのがいいわ」(藤井風)

「アイドル」(YOASOBI)・・・等々

 

・カントリーミュージック

さらにヨナ抜き五音音階はスコットランドやイングランドの古い民謡・童謡に見られる音階でもあり、アメリカのカントリーミュージックにも、ヨナ抜き五音音階が使われることが多く、スコットランドやイングランドの音楽にルーツの一端を持つフォークやカントリーミュージックでは、ヨナ抜き五音音階のメロディを比較的多く見つけることができます。

カントリーミュージックは1920年代、北米の南北に聳えるアパラチア山脈の南方にて生活していた、イギリス系移民が持ち込んだ音楽である民謡等がベースとなっており、また彼らはアフリカ系アメリカ人との交流も盛んだったことから、ゴスペルやブルースの要素も融合されています。

このカントリーミュージックも、やはり、世界中の民族音楽がレコードに録音されて商品化された1920年代には初期のカントリーミュージックが録音されています。

 

<カントリーロード ジョン・デンバー>

<アメイジング・グレイス>

 

ヨナ抜き五音音階を使用する民族音楽は日本・中国・ブリテン島周辺以外にも、アジアやアフリカをはじめ、世界各地の広い地域で使われており、東アジア(日本、朝鮮半島、中国(漢民族)、モンゴル、チベット、ブータンなど)、東南アジア(ベトナム、タイ、ミャンマー、カンボジア、インドネシア(ジャワ島、バリ島))、アフリカ(スーダン、エチオピア、ソマリア、など)、南アメリカ(アンデス)の音楽では、1オクターブの音域内で5つの音を持つ音階に基づくものがあります。

五音音階はアジアやアフリカの音楽からヨーロッパの民族音楽、アメリカのブルースまで、ほぼすべての音楽の伝統に登場するため、人類史上最も古い音楽構成要素のひとつと考えられています。

 

・日本におけるヨナ抜き五音音階の経緯

明治初期に西洋音楽を学校教育に導入しようとして、外国の曲を半分ほど取り入れた「小学唱歌集」が作成されましたが「蛍の光」などの「ファ」と「シ」を抜いた5音音階のスコットランド民謡以外はあまり普及しなかったため、西洋の七音階から「ファ」と「シ」を抜いた五音による音階により、当時の日本人の音感である五音階に近いものとして適用させ、その後の唱歌や童謡等の主な音階となったものです。

ただ、厳密に言うと、ヨナ抜き五音音階と日本固有の音階は違っていて、ヨナ抜き五音音階は西洋音階のドからシまでの半音12個のオクターブと同じにしてありますが、わらべ歌などの日本固有の音階は例えばドからミまでの半音5個をオクターブの1単位とするなど、そもそもオクターブそのものが異なっていたり、核音というものがあったりと、西洋音階にそのまま当てはめるのには無理があることなども指摘されています。

明治時代に西洋音楽を導入するに当たり、当時の日本固有の音楽を西洋音楽に適合させるために厳密な意味で日本の音楽を継承することは出来なかったのだろうと思われます。

このため、ヨナ抜き音階で創られた「演歌」やヨナ抜き五音音階そのものが日本音楽を真正に継承していないという指摘があるようですが、それは明治以降の文部省唱歌や童謡までもその真正性を否定することになり、それらの音楽で培われた明治以降の日本人の音感さえ否定することになり、不毛な議論だと思われます。

それを言うのであれば、1920年代にレコード音楽としてジャンル化されて広まった、ブルースやロックンロール、ジャズ、或はタンゴやサンバ等も、その地域ではレコード化された以前のネイティブな音階や楽器等も異なっていた可能性もあるわけで、厳密な意味での継承を問う姿勢には、明らかな誤りがあるように思えます。

日本的な音階を西洋の音楽技術である楽譜に表現することが出来るようになったことで、日本古来の音感による作曲や合奏、さらにレコーディングによるその記録と普及が飛躍的に進んだことは事実であります。

 

・西洋七音階の誕生と発展

古代ギリシアの自由人が身に付けるべきとされた教養である、古代ギリシア・ローマ文化を発祥とし、中世ヨーロッパまで受け継がれた「セブン・リベラル・アーツ」(=自由七科)は文系が「文法学」「修辞学」「論理学」で、理系は「算術」「幾何学」「天文学」「音楽学」の合わせて7科であり、そのうち、「音楽学」は「算術」「幾何学」と同じ理系の学問として扱われていて、そういう理系的発想の中で音楽は研究の対象になっていました。

西洋七音階は古代ギリシャ時代にピタゴラスの定理で有名な科学者ピタゴラスにより提唱されたとするもので、音楽と言うよりも、弦の長さを変えて得られる音を対象にした物理学的な実験から、整数比の長さの二つの異なる弦の音が澄んだ響きを持つという物理的な現象と人間の音感に基づいた実験によりその原理が発見された音階だということのようです。

ある長さの弦の音とその1/2の長さの弦の音(周波数が2倍)同志が澄んだ響きを持つことを発見し、それが低いドと1オクターブ高いドであり、弦長が1/3(周波数が3倍)の澄んで聴こえる音をソとし、ソの音の弦長が1/3(周波数が3倍)の澄んだ響きの音を次々と見つけて、ド→ソ→レ→ラ→ミ→シ→ファ→ドを見出し、それらをオクターブ下げて、ドから1オクターブ高いドの間に配置することによって得られたドレミファソラシドが西洋七音階となったということです。

中世には、地域毎に統一されていなかったグレゴリオ聖歌をヨーロッパ中に普及させる必要のため、楽譜と音符が考案され、一度限りで消えてしまう音楽を記録する方法が確立されたことにより、和声の考え方や作曲法の飛躍的な進歩に繋がりました。

さらには1オクターブを12等分する12平均律が考案され、それが楽器の量産や多種類の楽器の合奏に繋がり、その延長上に、あの膨大な交響曲群による西洋クラシック音楽の隆盛にまでに発展したのだろうと想像します。

また、個人的かつ素人の独断的な考えですが、西洋音楽はキリスト教の普及に伴う宗教音楽としての役割があったことから、神への信仰心を表現するためには半音のファとシが必要だったのではないのかと勝手に妄想しています。

例えば、イスラム教のコーランを唱える声や仏教の読経なども、半音やそれ以上狭い音程の、言わば「メリスマ」的な調べも良く似ていて、信仰心の心情を表わすには半音が必要だったのかも知れません。

半音間の音の繋がり、例えばファミやシドのファやシは、隣接する安定的な音であるミやドを予感させるもので、神への信仰心に特有な繊細で祈りのような心情を思わせる響きとなりますが、それは西洋音楽におけるヨーロッパ的叙情性の表現にも繋がっているような気がします。

 

<グレゴリオ聖歌:入祭唱>

 

ただし、ヨーロッパでもスコットランド民謡のように、比較的辺境の地域にはヨナ抜き五音音階が残っており、ドボルザークの交響曲第9番「新世界より」の有名な第2楽章の主旋律(唱歌『家路』)もヨナ抜き五音音階ですが、ドボルザークはチェコの作曲家で、国民楽派としてチェコ民謡等を取り入れたりしており、ヨーロッパの辺境とも言える東欧にもヨナ抜き五音音階が残っているものと思われます。

 

<ドボルザーク:交響曲第9番「新世界より」第2楽章>

 

ヨーロッパにおけるゲルマンやアングロ・サクソン等の民族移動などによって辺境に追いやられた先住民であるケルト人などのキリスト教に改宗しなかったか、或は比較的影響力が薄かった人々が住むヨーロッパ辺境地域には、今も五音階が残っているのだろうと思われます。

西洋七音階は理系的発想の中で生まれ、民族の坩堝のようなヨーロッパの特にキリスト教の普及と共に発展したものであり、ヨーロッパという特殊な地域で発展した全世界的に見れば一つの特殊な地域音楽である、と言えるのかも知れません。

 

・「演歌」の普遍性

半音を含む七音階は、特に宗教との関係において成立した特殊な音階であり、宗教性の関わりが少ない場合には、人間の基本的な音感に忠実な五音階の方が世界中で圧倒的に多いのだろうと思われます。

「演歌」や唱歌、童謡のヨナ抜き五音音階は世界的には最も普遍的な音階であり、全世界的に人間の心に馴染む音楽であり、そういう意味でも日本の「演歌」はユーチューブ等のSNSに乗せて、世界中の人々に届けるべき音楽であろうと思われます。

ヨナ抜き五音音階による旋律で世界を席巻するJポップの藤井風さん、米津玄師さん等のカバーもそういう意味で意味深いものですが、歴代演歌歌手の中で、「演歌」の神髄を最も正しく、かつ最も美しく伝えることの出来る市川由紀乃さんには、全世界的と言うよりも、全人類的な普遍性を有する、ヨナ抜き五音音階による旋律と、同じく全人類的な普遍性を有する、メリスマとしてのコブシやビブラートを用いた普遍的な歌唱法を頑なに引き継いできた「演歌」の古今の名曲を、公式ユーチューブチャンネルなどのSNSを駆使し、歌詞も各国語の翻訳が可能な形式で、全世界の人々に向かって発信して欲しいと切に願っております。

 

<Lemon 米津玄師>

<打上花火 DAOKO×米津玄師>