市川由紀乃:雪の架け橋③「影を慕いて」
「影を慕いて」はこの曲の作曲者である、若き日の古賀政男さんが、離婚歴のある年上の女性に対する失恋の痛手から世を儚んで、蔵王山麓の中腹にある宮城県の青根温泉で自殺未遂を起こした際に生まれた曲で、青根温泉には御影石の立派な歌碑が建てられています。
この曲は、その哀愁に富んだ美しい旋律もさることながら、文語調の格調高い言葉で失恋の悲しみを見事に描き切った、日本の歌謡史に残る素晴らしい歌詞でも名高い、名曲中の名曲です。
「影を慕いて」
作詞・作曲 古賀政男
1 まぼろしの 影を慕いて雨に日に
月にやるせぬ 我が思い
つつめば燃ゆる 胸の火に
身は焦れつつ 忍び泣く
2 わびしさよ せめて傷心(いたみ)のなぐさめに
ギターを取りて 爪弾(つまび)けば
どこまで時雨(しぐれ) ゆく秋ぞ
振音(トレモロ)寂し 身は悲し
3 君故に 永き人生(ひとよ)を霜枯れて
永遠(とわ)に春見ぬ 我が運命(さだめ)
ながろうべきか 空蝉(うつせみ)の
儚(はかな)き影よ 我が恋よ
最初は佐藤千代子さんで吹き込まれたこの日本的な旋律の曲は、藤山一郎さんのスーツ姿のクルーナー唱法による格調高い歌唱によって有名ですが、以前から、何故このような日本的な曲を、まるで歌曲のように歌うのか、不思議でした。
この曲だけでなく、戦前の歌手が皆、直立不動の洋装で生真面目に歌う姿を見て、歌手だけではなく当時の人々はみんな生真面目に生きていたのだろう、というレトロな想像を膨らましていました。
原曲の藤山さんの歌唱はそのような魅力に溢れていて、「丘を越えて」や「東京ラプソディ」「青い山脈」「長崎の鐘」等の洋風な曲にはその曲の魅力をより引き立てて、相応しいものと思うのですが、「影を慕いて」や「酒は涙か溜息か」等の日本的な歌詞や旋律の曲には、若干の違和感を感じることもあります。
他の歌手でも、特に東海林太郎さんの直立不動とロイド眼鏡のモーニング姿で歌う「赤城の子守唄」などは、その代表的な事例でしょう。
何故、戦前のレコード歌手は、今で言う「演歌」を洋装の直立不動で、歌曲のように歌ったんでしょう?
それはそれとして特別な魅力はありますが、曲の描く世界を表現しているとは少し言い難い装いではあります。
やはりそれは、文明開化以降の日本においては、憲法までプロイセンの模倣をし、富国強兵の名のもとに、欧米に追い付け追い越せとばかりの近代化=西洋化という考え方が支配的で、洋風こそが善であり、日本的なものは劣っていると見做されていたのが、その理由の一つなのかも知れません。
蓄音機とレコードは進歩的機器であり、それで聴く音楽には洋風という進歩的な装いが必要だったのかも知れません。
昭和初期には、コロンビア、ビクター等、アメリカの外資系レコード会社3社が日本に上陸し、蓄音機とレコードの販売を開始し、洋楽のレコードの他に、日本で売れる曲として制作されヒットしたのが、古賀政男さん作曲の「酒は涙か溜息か」や「丘を越えて」そして「影を慕いて」です。
旋律は日本的であっても、進歩的な洋風の装いをしなければ、西洋化志向の強かった当時の人々に受け入れられないことから、音大出身の歌手による西洋的歌唱法で歌われたのだろうと思います。
1920・30年代(昭和初期)におけるレコードやラジオの普及により、アメリカ国内では黒人音楽のルーツであるブルースの採譜と録音が行われ、ブルーノートというジャズ特有の音階が発見されたり、南米でもやはり、それぞれの国の国民的音楽がレコード音楽として商品化される際に、音楽ジャンルとしての「サンバ」や「タンゴ」の名称が付けられ、広まったのでしょう。
アメリカでのレコード音楽の産業化とその世界的進展に伴い、各国の国民的音楽がレコード音楽として商品化される過程で、レコード音楽としてジャンル化されたと言うことが出来るのかも知れません。
日本でも当時、巷で人々に愛されていた様々な調べが古賀政男さんの感性を経由してミックス、統合されて五線譜に書き留められ、レコード化されたのが、「酒は涙か溜息か」や「影を慕いて」だったのではないでしょうか?
ただ、そこには黒船来航という、脅しだけで土下座してしまった明治の日本の西洋至上主義という特別な事情があったことから、進歩的=西洋風の装いが必要であって、それが当時のレコード歌手たちの歌唱法も含めた洋風な装いになったのだと想像されます。
本来であれば、1920・30年代の同じ時期に誕生した音楽ジャンルである、アメリカのブルースやそれを源とするジャズやロックンロール、或いは南米のサンバやタンゴのように、日本的な音楽としての「演歌」(違う名称になっていたかも知れません)という音楽ジャンルがそこで誕生していても可笑しくなかったのかも知れません。
その時は、歌唱法も含めたその装いは、より日本的なもの、つまり、その後、昭和40年代に、過去まで遡ってジャンル化された「演歌」により採用された、伝統的な邦楽に由来する「コブシ」や「唸り」「ビブラート」を多用した歌唱法で歌われ、服装や仕草なども、より日本的なものになっていたのかも知れません。
このように考えると、「影を慕いて」や「酒は涙か溜息か」こそがレコード歌謡としての「演歌」の源なのだと言えるのではないでしょうか。
「影を慕いて」は本来、森進一さんのように歌われるべき曲だったのかも知れません。
この曲をカバーしているポップス系歌手は極めて少なく、ほとんどが演歌歌手であるのがそのことを証明しているように思えます。
演歌歌手としての市川由紀乃さんには是非とも、このレコード歌謡の原点でもあり、「演歌」の源でもある「影を慕いて」や「酒は涙か溜息か」を歌っていただき、これ以外にも煌くような膨大な名曲を残された、日本のレコード歌謡史に君臨する天才作曲家、古賀政男さんの古賀メロディの神髄を現代に蘇らせて欲しいと思います。
<影を慕いて>
藤山一郎(原曲)
藤山一郎(原曲)
佐藤千代子(原曲)
森進一
森進一
石原裕次郎
美空ひばり
島倉千代子
五木ひろし
八代亜紀
細川たかし
大川栄策
小林幸子
玉置浩二
<酒は涙か溜息か>
藤山一郎(原曲)
藤山一郎(原曲)
三橋美智也
青江三奈
森進一
八代亜紀
大川栄策
細川たかし
渥美二郎
天童よしみ
多岐川舞子
三山ひろし