雪の架け橋①
「白日」(King Gnu)
このブログでは市川由紀乃さんがまだ歌っていないけれども、是非歌ってほしい曲を「雪のリクエスト」というタイトルで挙げています。
この「白日」という曲も由紀乃さんは歌っていませんが、是非ともカバーして欲しい曲で、「架け橋」というタイトルの意味は、視聴メディアで分断された、例えば演歌とJポップなどとの垣根を越えて、演歌とポップスの未来の可能性を指し示すことが出来るのは市川由紀乃さん、その人だろうということなのですが、それについては後の方で詳しく述べたいと思います。
<白日>
King Gnuは2013年、常田大希を中心としたバンド「Srv.Vinci」(サーバ・ヴィンチ)の活動を開始。以後、メンバー変更を経て、2015年に現在の4人体制となった。2017年、「King Gnu(キング・ヌー)」に改名している。
音楽面においては、ロックのみならず、R&Bやジャズ、J-POPなど幅広いジャンルの要素を取り入れながら、歌謡曲然とした親しみやすいメロディーや日本語による歌詞を乗せることを重視しており、「J-POPをやる」ということが、バンドの大きなコンセプトの一つとなっている。
バンド名「King Gnu」(キング・ヌー)の由来は、アフリカに生息するウシ科の動物の「ヌー(Gnu)」が、春から少しずつ合流して、やがて巨大な群れになる習性を持っており、自分たちも老若男女を巻き込み大きな群れになりたい、という思いから名づけられた。
作詞・作曲・編曲・ボーカル(低音部)を担当するリーダーの常田大希は長野県伊那市で生まれで、第20回日本クラシック音楽コンクール チェロ部門 高校の部、第3位受賞や小澤征爾が主催する小澤国際室内楽アカデミーにチェロ奏者として在籍するなどの実績あり、東京藝術大学音楽学部器楽科チェロ専攻に進学するが、「社会と結びついた音楽をしたい」という理由で中退し、バンド活動に専念するという経歴を持つ。
実兄も中学2年生の時に江藤俊哉ヴァイオリンコンクールで3位入賞という実績がありながら、芸大ではなく東京大学理科二類に入学、卒業後、実業家兼ヴァイオリニストとして音楽家やクリエイターの活動を支援する事業を展開する株式会社の共同創業者、代表取締役を務めるとともに弟の常田大希や米津玄師など他のミュージシャンのレコーディングやライブに自ら率いるストリングス隊として参加している。
リードボーカル(高音部)担当の井口理は長野県伊那市で生まれ、常田大希とは小学校、中学校の一年後輩であり、中学時代合唱部に所属していて、常田と共にNHK全国学校音楽コンクールの全国大会に出場したが、それ程親しい間柄でなかったものの、東京藝術大学音楽学部声楽科入学後に大学祭で餅をワッフル状に焼いたモッフルの店長として呼び込みをしていて、偶然に大学祭に出演を依頼されてた中退後の常田と出会い、バンド加入を打診されて加入した。実兄も芸大声楽科卒業後、ドイツ在住の声楽家として活躍している。
楽曲「白日」は2019年日本テレビ系土曜ドラマ『イノセンス 冤罪弁護士』の主題歌として、書き下ろしたもの。本楽曲は2月22日に2nd配信限定シングルとしてリリース。バンド初となるドラマタイアップとなった。また、2023年6月7日、本楽曲のストリーミング総再生回数が6億回を突破した。日本の楽曲において史上6曲目の快挙となるほか、2019年のNHK紅白歌に初出場し、「白日」を歌唱した。
「白日」を始めとして「Teenager Forever」「飛行艇」「BOY」等多数の楽曲がドラマの主題歌、CMソング等タイアップ曲となっている。
(ウィキペディア抜粋他、敬称略)
この曲はキング・ヌーの曲の中でも最も多く聴かれている大ヒット曲ですが、現代のJポップの中でも最も難しく高度の歌唱力が求められる曲で、実社会で生きる若者の社会の不条理と直面しながら生きる息苦しさとそこに垣間見る微かな希望の光を求める心を描いた曲です。
極めて難易度の高い曲ですが、数種類の音楽的魅力に溢れ、なおかつ全く異なる曲想のパートが斬新なアイデアで結ばれており、美しく移り変わりゆきながら、全体として複雑で内容の濃い、まるでクラシックの交響曲の1楽章をぎゅっと凝縮させたような高度な音楽性を実現した作品です。
美しいファルセットや歯切れのいいテノールを駆使した井口さんの高音と、常田さんの深い低音のツインボーカルで一曲に多彩な魅力を表現しており、ビートルズのジョンとポールのツインボーカルを意識しているのかも知れません。
その旋律やリズムの複雑な構成に加えて、アレンジも多彩な音色による斬新で魅力的なアイデアに溢れていて、歌唱とバンドの演奏が一体となって音楽を表現しており、その意味でも極めて高い音楽性を追求している楽曲であり、一曲の中で最も魅力的であるはずのサビの魅力と同等の魅力がどこを切っても現れるという完成度の高い至高のロックミュージックです。
キング・ヌーは様々なジャンルの音楽をミックスした曲作りをしていますが、基本的にはロックミュージックであり、その魅力的な旋律やリズムや曲の構成の複雑さ、ストリングスを多用した高度な音楽的志向などは、ロックミュージックとしては後期のビートルズに肉迫しており、ビートルズ以降最も高いレベルに達しているロックバンドとして、世界中の古今のロックバンドを凌駕していると言っても過言ではないと思います。
一曲の中に複数の全く異なる曲想のパートがあり、それによって生み出される複雑さや、互いにそれぞれのパートの輝きを増幅させる効果を生み出す常田さんの曲作りは、多くの曲がジョンとポールの合作によるビートルズの曲作りを思わせますが、曲想の落差の大きさやメロディラインの甘美さなどは、インスピレーションの塊のようなポールの作曲をより強く志向しているような気もします。
ビートルズの楽曲は作詞・作曲・アレンジも基本的にはバンドのメンバー全員で行ったものですが、特に「ラバーソウル」以降におけるクラシック的アプローチやオーケストレーション、複雑なサウンド・エフェクトの多くは、当時、オーディションを落ちまくっていたビートルズをレコードデビューさせ、デビュー時からビートルズの曲作りに深く関わり、五人目のビートルズとも言われた、EMIの音楽プロデューサーで正規の音楽教育を受けているジョージ・マーティンとの共同作業によるものです。
キング・ヌーにおいては、作詞作曲と基本的なアレンジを常田さんが担い、それをメンバーによるセッションで練り上げる形で行われるのですが、常田さんのチェロと実業家兼バイオリニストでもある実兄の俊太郎さんが率いるストリングス隊とで、弦楽的なアレンジが施される曲も多く、そのことによって楽曲にビートルズの後期のような高度な音楽性をもたらしています。
この曲が収録されているアルバム「セレモニー」は、一曲目に「開会式」、中間に「幕間」、最終曲に「閉会式」という表題が付いた短い演奏のみの曲を配置したり、各楽曲を有機的に配置して、全体でアルバムタイトルの示す音楽の式典という統一したテーマを表現する、いわゆるコンセプトアルバムになっています。
コンセプトアルバムという考え方は、半世紀前にロックのみならずポピュラー音楽の歴史上に燦然と輝く金字塔を打ち立てた、ビートルズのアルバム「サージェント・ペパーズ・ロンリーハーツクラブ・バンド」によって始めて示され、その後のアルバム製作の方向を決定付けたもので、キング・ヌーもそれを強く意識しているものと思われますが、その音楽的レベルの高さは「サージェント・ペパーズ・・・」に肉迫するほどの完成度と芸術性を有しています。
アルバム「サージェント・ペパーズ・・・」はタイトル名のバンドによって繰り広げられる音楽会の様子を模した内容となっており、最初にこのバンドによる開会の挨拶めいた曲で始まり、最後の一曲前で閉会の挨拶的曲を置いて、演奏会のプログラムのようなアルバムで、未だに世界中のベストアルバムランキングでトップを独走し続けている人類の遺産みたいなアルバムですが、キング・ヌーの「セレモニー」も、そのタイトルといい、アルバムの構成やその内容といい、「サージェント・ペパーズ・・・」をトリビュートしていることは疑いのないものと思われ、ヌー達の王として先頭を走りたいと命名したキング・ヌーが目指している地平の彼方には、芸術性と大衆性を両立させた偉大なビートルズが輝いているのだと思います。
私はそれほど豊富な音楽的知識を持ち合わせてはいませんが、私なりに感じたこの曲のつたない感想を述べてみたいと思います。
「白日」(King Gnu)
(導入部)
時には誰かを
知らず知らずのうちに
傷つけてしまったり
失ったりして初めて
犯した罪を知る
ここは古典派交響曲の第一楽章によく見られるいわゆる「導入部」に当たるのではないかなと思います。
若さゆえに犯した過去の未熟さに対する悔恨を歌う、スローテンポの美しい旋律を、井口さんが、ピアノのシンプルな伴奏とともに、囁くような美しいファルセットで静かに歌い始めます。
(Aメロ)
戻れないよ、
昔のようには
煌めいて見えたとしても
明日へと歩き出さなきゃ
雪が降り頻ろうとも
ここはいわゆる「Aメロ」に当たるのでしょうか?
ここから、かすれたドラムの音ががリズムを刻み始めます。
井口さんはやはり同じスローテンポのバラード風な旋律を引き続き美しい高音のファルセットで少し熱の入った切なそうな歌声で、向き合わざるを得ない不条理な日常へと立ち向かおうとする切実さを歌います。
最後に次のアップテンポの「Bメロ」に繋ぐようにドラムの激しいストロークが入ります。
(Bメロ)
今の僕には
何ができるの?
何になれるの?
誰かのために生きるなら
正しいことばかり
言ってらんないよな
どこかの街で
また出逢えたら
僕の名前を
覚えていますか?
その頃にはきっと
春風が吹くだろう
急に曲想が一変しアップテンポの「Bメロ」が始まります。
ここからギターとベース、キーボードが入り、フルバンドによる本格的なロックが展開されてゆきます。
ここでは常田さんの深い低音がメインとなり、それに井口さんのファルセットがオクターブ上をハモるように合わせ、ツインボーカルの威力を発揮します。
心地よい軽快なリズムに乗って、前半の下降する旋律が下降し切ると後半は上昇してゆく構造の旋律が「Bメロ」でこれを二度繰り返し、二度目の後半の上昇では歌詞の「春風が吹くだろう」を表わすように微かに垣間見える希望の光を祈るように歌い上げ、次の「サビ」へと繋げます。
(サビ)
真っ新に生まれ変わって
人生一から始めようが
へばりついて離れない
地続きの今を歩いているんだ
真っ白に全てさよなら
降りしきる雪よ
全てを包み込んでくれ
今日だけは全てを隠してくれ
ここがいわゆる「サビ」と呼ばれる部分で、ここでキング・ヌーのロックが全開します。
突き上げるような激しいリズムに心が揺さぶられ、特に後半の旋律の繰り返す高音への飛び跳ねは興奮の頂点が何度も押し寄せて来るような感覚で、何度でも味わいたくなる麻薬のようなヤバいクライマックスを築き上げています。
ボーカルも井口さんの叫び上げるような地声主体の高音がメインとなり、それを常田さんの低音で支えるような形のツインボーカルへと交代します。
未熟な若さゆえに背負い込んでしまった罪や恥を抱える過去を引きずりながら、取って変わることの出来ない自分のままで、現実の不条理と向き合い生きていかなければならない切なさと苦しさを叫び上げる、まさにロックの真骨頂で、この曲がロックミュージックであることを証明しています。
(Aメロ)
もう戻れないよ、
昔のようには
羨んでしまったとしても
明日へと歩き出さなきゃ
雪が降り頻ろうとも
少しの間奏を挟んでAメロに戻ります。
(Bメロ)
いつものように
笑ってたんだ
分かり合えると思ってたんだ
曖昧なサインを見落として
途方のない間違い探し
季節を越えて
また出逢えたら
君の名前を
呼んでもいいかな
その頃にはきっと
春風が吹くだろう
若さゆえに犯してしまった過去の恋のすれ違いや葛藤、そして失恋。今の苦しみを乗り越えることが出来たとして、そのときは失った恋を取り戻せるかも知れないというささやかな希望も垣間見えながら・・・。
(サビ)
真っ新に生まれ変わって
人生一から始めようが
首の皮一枚繋がった
如何しようも無い今を
生きていくんだ
真っ白に全てさよなら
降りしきる雪よ
今だけはこの心を凍らせてくれ
全てを忘れさせてくれよ
二度目のサビに入り、誤魔化し切れない裸の自分のままで雪が降りしきる凍えるような冷たい現実を微かな希望の光を頼りにして、歩いていかなければならないとは思っているけど、一歩を歩み出す前の今日一日くらいはせめて、過去の全てを降りしきる雪で隠して、真っ白い日「白日」にして欲しい。
最後の「くれよ」の絶叫でこの曲の最初のクライマックスを迎え、その後の長めの間奏では、常田さんのロックギターのソロが切なく激しい旋律を弾き上げます。
(Cメロ)
朝目覚めたら
どっかの誰かに
なってやしないかな
なれやしないよな
聞き流してくれ
忙しない日常の中で
歳だけを重ねた
その向こう側に
待ち受けるのは
天国か地獄か
ここでまた甘く慰めるような新しい別の旋律が現れ、導入部も含めれば五つ目のCメロが出てきます。
一曲に五つの、リズムも旋律も全く異なり、それぞれがそれぞれに美しく魅力的なパートが存在し、互いにその魅力を引き立て合い、さらにそれらが斬新な曲想の秀逸なアイデアで美しく接続されていることによって、複雑で濃密な音楽的空間を生み出しています。
このパートの最後の「天国か地獄か」では半音ずつ徐々にずり上がっていくような旋律で次のパートで待ち構えている爆発を予感させるように繋いでゆきます。
(Bメロ)
いつだって人は鈍感だもの
わかりゃしないんだ肚の中
それでも愛し愛され
生きて行くのが定めと知って
後悔ばかりの人生だ
取り返しのつかない過ちの
一つや二つくらい
誰にでもあるよな
そんなんもんだろう
うんざりするよ
直前の旋律による爆発の予感を肩透かしのように裏切り、今までの激しい地声による叫ぶようなサビから一転してファルセット気味の声で囁くようにサビの旋律に乗せて諦めの気持ちを歌います。
最後の二行では開き直ったように、また激しく歌い上げ、転調のための旋律「うんざりするよ」を挟んで鮮やかに転調した興奮の極地へと導く最終的なクライマックスへと突入します。
(転調サビ)
真っ新に生まれ変わって
人生一から始めようが
へばりついて離れない
地続きの今を歩いて行くんだ
真っ白に全てさようなら
降りしきる雪よ
全てを包み込んでくれ
今日だけは全てを隠してくれ
ここは交響曲で言うフィナーレでしょうか、鮮やかな転調により否が応でも掻き立てられた興奮のままに、取り返しのつかない過去を引きずりながら現実の不条理と向き合って歩き出すための今日という日を、降りしきる雪で過去の全てを覆い隠して真っ白な一日、「白日」にして欲しい、そうしたらなんとか歩き出せるんだ!と祈りのように叫び上げます。
<白日 King Gnu>
<白日 King Gnu>
<雪の架け橋>
市川由紀乃さんにこの曲を歌って欲しい、或いは歌うべきである理由を述べてみたいと思います。
・難曲
まず、この曲は現在のJポップの曲として一番歌うことが難しい曲であるという認識が大多数を占めているだろうと思われることが挙げられます。
昨今の世情では、難曲を歌えることが歌唱力の証のようになっていて、鬼レンチャンみたいな番組があるほどですが、逆に言えば、難曲を歌えさえすれば歌唱力があると認められてしまうということでもあり、音程の良さと大声量のみに焦点を置いた薄っぺらな認識が蔓延っている状況でもある、と言うことも出来ます。
アニソンなども含めて、Jポップと呼ばれる最近の曲は、音程の取りにくい複雑な旋律を含み、細かいリズムに過剰気味の歌詞を押し込めてあり、かつ、高音域を多用して、敢えて歌うことを難しくしている傾向があります。
詳しくはありませんが、ヒップホップやラップなどの洋楽の影響もあるのでしょうが、カラオケの存在も大きいのかもしれません。
コブシを利かせて上手に演歌を歌うのがかっこいいと思われるように、若い世代では友人とカラオケに行って、難曲を歌いこなせることが、かっこよさのステータスになっているものと想像されます。
歌が上手いと女の子にもてる、そんな需要もあって難曲がヒットするということなのかも知れませんし、それを受けて、製作側も、わざと歌うことが難しい曲を作るという販売戦略を取っているようにも思えます。
以前、小室ファミリーのポップスが席巻していた時代に、作曲者の小室哲哉さんが、「若い人たちがカラオケで歌うことが難しい高音域をメロディに入れている」と話しているのを聞いたことがありますが、その流れが今も続いているのでしょう。
今の歌手にとって、難曲を歌えることが歌唱力の必須の条件になっていて、そういう状況の中で、コブシやビブラートなどの半音にも満たない音程を正確にコントロールし、既に周知の事実となっている市川由紀乃さんの歌唱力の高さを、改めて広く認知させるのには、難曲中の難曲として名高いこの「白日」という曲は打って付けであろうと思われます。
・分断
次に「演歌」の置かれている現状を考えてみましょう。
一つは聴かれている音楽媒体の違いがあります。
演歌が隆盛だった1970~80年代は唯一の媒体はテレビのみで、演歌も歌謡曲もアイドルもフォークも同じテレビの同じ歌番組で、家族一緒に見ていて、老若男女全ての世代が異なるジャンルを目にし、耳にしているという状況がありました。(洋楽はもっぱらラジオの深夜放送が主体でした。)
しかし、今は演歌はTVのBSチャンネルが中心で、若い世代はTVを見ないどころか、TVそのものを持っていない家庭がざらにあるという状況です。
受信料さえ払おうとしないのに、さらに加算されるBS受信料はなおさらです。
某国営放送にとっては死活問題であり、終には紅白まで使って将来の受信者獲得にやっきになっている状況です。
今、若い世代は主にインターネット上で音楽を聴いています。
それは、スポティファイやアマゾン・プライム・ミュージック、ユーチューブ・ミュージック等でのサブスクと称される低額の月額料金を支払う視聴方法か、或いはCMは入るけれども無料での視聴方法になりますが、その際には、ダウンロードなどで保存せずに、その都度接続するだけで簡単に聴けるストリーミングと呼ばれる形での聴き方に変わっています。
好き嫌いに関わらず、視聴するメディアそのものが異なるという完全な分断状況の中にあり、共に互いのジャンルの音楽には触れることさえ出来ない状況にあります。
音楽は何時の時代でも、聴く人のライフスタイルやファッションの側面があり、そういう理由でのジャンルの好みが生じるのは仕方ないことですが、視聴する媒体そのものが異なることによって、違うジャンルの音楽に触れる機会が皆無という異常な状況にあります。
このような状況で、昔のテレビジョンのように全ての世代が目にすることの可能性の高い媒体として、今、最も普及しているのがユーチューブだと言えるでしょう。
パソコンやスマートフォンは今やあらゆる世代に普及しており、いつでも誰でもどんな世代でも見れるユーチューブは昭和のテレビジョンのような存在になりつつあります。
ユーチューブは政治的なものから、極く個人的な趣味の世界まで、様々な分野の動画で溢れていて、音楽に限ってみても、あらゆるジャンルの音楽を目にする確率の高い媒体です。
自分が良く見ているジャンルの動画が優先的に表示されるという機能はありますが、それは完全なものではなく、それ以外の分野の動画も高い確率で表示されます。
検索機能を使う場合で言えば、曲名を入れるだけで、原曲、カバーに関わらず、その曲を歌っている様々なジャンルの歌手の全ての動画がヒットして来るので、今まで全く知らなかった歌手の歌唱にに触れることが出来るのです。
このように他ジャンルの歌唱や曲に横断的に触れる確率の高いユーチューブは、今の分断の状況を克服する手段として、大きな可能性を秘めた媒体だと思います。
演歌のジャンルはその点でかなり遅れを取っているものと思われ、もっと積極的にユーチューブに進出し、この媒体の機能を利用する必要があるものと思われます。
世界中のSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の利用状況を見てみると、世界のSNSの月間アクティブユーザー数は、フェイスブック29億1000万、ユーチューブ約25億、ワッツアップ約20億、インスタグラム約14億、ウィーチャット約12億、ティックトック約10億・・・、となっており、この圧倒的な影響力を持つユーチューブという巨大な媒体をどのように利用してゆくかでその音楽ジャンルの将来が決まると言ってもいいでしょう。
それと、ユーチューブの他の音楽配信メディアと異なる最大の特徴は、動画を発信できるということです、
音楽は聴くだけではなく、本人の歌っている姿の動画をみたいというのはファンの当たり前の欲求で、由紀乃さんの公式ユーチューブチャンネルの「唄女Ⅴ」の同じ曲の動画を見ても、ジャケットカバーの動かない画像のみのフルバージョンの動画よりも、途中までしか歌っていない「歌ってミルク」の再生回数の方が10倍以上多い状態となっています。
「花わずらい」等の公式ミュージックビデオが100万回越えを連発する、ビジュアル的に優れた市川由紀乃さんであればなおさら、ユーチューブの活用は効果的です。
このブログで途中で途切れて仕舞うような由紀乃さんのユーチューブ動画に異を唱えるのはそういうことです。
また、アーティストや製作側の著作権保護と経済的報酬の面でも、今ではしっかりとした体制が取られているようで、ユーチューブとジャスラック(日本音楽著作権協会:現会長・弦哲也)との間で包括契約がなされており、ジャスラックに登録されている著作権のある音楽については、ユーチューブ側の収入(有料のサブスク(月額料金)収入と無料視聴版のCM収入)からその楽曲の再生回数に応じた一定の割合の金額をジャスラック側に支払い、それをジャスラックからさらに作詞家・作曲家の著作権と、録音原盤の所有者であるレコード会社等の原盤権のそれぞれの権利割合に応じた額を分配する仕組みになっていて、アーティスト側の経済的報酬も担保されているようです。
さらに、音源そのものをファイル化して登録する制度もあるようで、ユーチューブにアップされている動画を常時自動的にチェックするシステムがあり、該当する動画については、その動画の収入から著作権・原盤権割合に応じた金額の支払いを受けるか、或いは悪質な場合は動画の削除という対応をとる場合もあるようです。(このブログにはユーチューブの動画を貼り付ける機能があるのですが、さすがに著作権侵害の不安があったので、念のためにブログのヘルプセンターにメールで問い合わせたところ、著作権の問題はユーチューブ側と動画をアップした側との問題として対応されるものであり、もし、削除されれば、貼り付けた動画が視聴できなくなるだけなので、この機能を使ったユーチューブ動画の貼り付けについては特に問題がない、との回答を得ています。)
アーテスト側が音楽動画をユーチューブにアップすることによって、実際にどの程度の収入が得られるのかは正確に知ることは出来ませんが、再生回数が増えれば、それは直接知名度の向上に繋がることですし、間接的にはCDの売り上げやコンサートの動員数に及ぼす影響は大いに期待されるところだと思われます。
ユーチューブで見たり、スポティファイで聴くことで由紀乃ちゃんを応援できるのです!
・演歌の起源
次に演歌の音楽的可能性について考えてみたいと思います。
まずは、演歌の起源はどこか?
素人考えに過ぎませんが、多分、民謡、浪曲、浪花節、詩吟などに直接的な繋がりを持ち、その先には文明開化以前の巷に存在してた、わらべ歌、子守唄、小唄、長唄やさらには歌舞伎、能、狂言そして雅楽、さらに遡れば、神楽、田植え踊り、猿楽、田楽などのいわゆる邦楽と呼ばれる、この島国の日本という閉ざされた空間において長年に亘り愛され続けてきた一連の音楽的嗜好の文化に繋がっているものと考えられます。
難しい音楽理論を抜きにしても、日本人であれば演歌の起源がこれらの邦楽の延長線上にあることは感覚的に納得できることだと思います。
逆に言えば、演歌はこれら邦楽の流れを意識的に取り入れた音楽だともいえます。
これに対して、演歌は明治の演説歌から来ているとする、名称のみに着目した浅薄な説明や、五木寛之の小説「艶歌」がその起源で、1970年の藤圭子のデビューから20年ほど続いた一時期的なブームに過ぎなかった、という、これまた、一介の人気小説家の文学風妄想を鵜呑みにするような馬鹿げた解釈もあります。
いちいち反論するのも億劫なのですが、「演歌」は明治の「演説歌」の略称などではなく、もし戦後に当時のレコード会社が販売促進のために付けたネーミングだとしても、その頃、巷でいわゆる「流し」の異名としての「演歌師」という呼び方が既に定着していて、その演歌師達の歌う歌が「演歌」と既に呼ばれていたのを流用したのか、それとも演歌師が歌う歌という意味で「演歌」と改めて命名したか、のどちらかだと思います。
明治時代にヴァイオリンやアコーディオンを弾きながら政治的な主張を唱える演説歌と呼ばれる歌を歌い、大道を流し歩いて歌本を売っていた人達が演歌師と呼ばれていたことと、戦後、ギターを抱えて酒場を流していた、いわゆる「流し」をしていた北島三郎さんや大川栄策さんたちの形態的なイメージの一致から「流し」の異名として「演歌師」と呼ばれるようになり、それが転じて演歌師が歌う歌だから「演歌」と呼ぶようになった、というのが真相なのだろうと、推測します。
明治時代は大道で、戦後は酒場で、と舞台も異なり、ヴァイオリンやアコーディオンに対してギター、と奏でる楽器も異なっているものの、ともに「流し」ながら歌本を売って、或いは歌を歌って、金銭を受ける、というその姿が、戦後まもなくの頃であれば、明治をリアルタイムで生きた人々も多かったでしょうから、彼等の目にはその姿が容易に重なって見えただろうということは充分に想像できることです。
つまり、「演歌師」という職業としての名称の同一化が先であり、その結果として「演歌」という歌の名称が生まれたのであって、明治時代の政治的主張を唱える「演説歌」と、戦後の音楽ジャンルの名称としての「演歌」は、全く異質なもので、両者には音楽としての直接的な繋がりはないものと考えるべきでしょう。
ですから明治時代の演歌師が政治的な主張を歌い、戦後に演歌師の異名で呼ばれた「流し」の歌にそういったものが全く見受けられないというのは、当然と言えば当然のことなのです。
また、1970年の藤圭子さんのデビューが演歌の始まりという説についてですが、当時を知っている同年輩の方々でしたなら、凄い違和感を感じるのではないでしょうか?
その頃をリアルタイムで生きていた私などは、どちらかというと、藤圭子さんは遅れてきた演歌歌手って言うイメージしかなく、彼女の前には三橋美智也さん、三波春夫さん、村田秀雄さん、都はるみさん、北島三郎さん・・・演歌史上に燦然と輝く大御所たちの名前が天まで届けと言わんばかりにすらすら出てきます。
そもそも、レコード大賞も紅白トリも取っていない歌手を以って、演歌の起源とするのはあまりにも無理があるし、余程の無知としか言わざるを得ません。
五木寛之の小説「艶歌」がその起源だというのですが、五木寛之さんって本当に文学者なんですか?文学史に残るような作品が一つでもあるのでしょうか?
容貌の良さも手伝ってもてはやされ、よくテレビに出てくる人気流行作家というイメージしかありませんし、作詞家としての代表曲が松坂慶子さんの「愛の水中花」ですから・・・。
小説「艶歌」が演歌の起源であるとすればそれは単なる名称論に過ぎず、名称に着眼して膨らませた何の裏付けもない単なる文学風妄想に過ぎませんが、藤さんの歌に怨歌という字を当てたのは的を得ていて、確かに彼女の歌は全てが怨み節的色彩の強い歌でした。
それとその生い立ちのエピソードが与えるイメージの暗さがその美貌と相俟ってブームを起こしたのですが、それは演歌の一側面でしかなく、当時の夜の世界に生きる現代的な女のやさぐれた怨み節であって、演歌の最大の特徴である日本的なものへ回帰しようとする心情は全く見られません。
どちらかと言うと、演歌というよりもブルースやロックに近い精神性ではないでしょうか?
非常に強いインパクトのあるイメージを持った歌手であり、デビュー後数年は爆発的な人気でしたが、都はるみさんや八代亜紀さんほどの長いキャリアは持てませんでした。
調べればすぐにでも分かりそうな事実を無視してまで、何故、演歌についてのこのような愚説が受け入れられ、その正当性を強弁しようとするのでしょうか?
それは何故か?
端的に結論を言ってしまえば、Jポップがかっこ悪い演歌に繋がっていると、Jポップを好きな自分のかっこ良さが損なわれると感じているということでしょう。
こういうのは真の音楽ファンとは言えません。
詳しく見てゆけば、それは、若い世代が今の演歌界の和服を着て日本の伝統的なジャンルとしての演歌を歌うというスタイルしか知らず、実際の70年代の演歌の実際を知らないか、或いは誤解しているということもあるのでしょうが、それとは別に、薄々演歌が気になり出して来ているということがあるのかも知れません。
自分でも気に入っていて世界に受け入れられているかっこいいJポップが、実は日本的な音楽である演歌に繋がりがありそうなことを薄々感じ取っていて、そのことを否定したいという無意識の気持ちが生じているから、と見ることはできないでしょうか?
都合のいい解釈かも知れませんが、世界的に人気の高い藤井風や米津玄師などの旋律は洋風か和風かと言えば、少なくともバタ臭い洋風な旋律と言うよりも、どちらかと言えば和風に近い匂いがしますし、そしてそれが世界に受け入れられているという事実があるのです。
特に、音楽をファッションと捉え、そのかっこいい音楽を聴くかっこいい自分に酔いしれる傾向の強い人は、純粋な音楽的魅力よりもその音楽ジャンルの持っているファッション性や政治的文化的意味合いのほうに惹かれる要素が強いです。
そういう人にとっては、演歌は古臭くかっこ悪く封建的な価値観の支配する遅れた音楽ジャンルだという認識を成立させているのでしょう。
自分が好む、例えばロックやジャズやポップスに対するいわばアンチテーゼとして演歌を捉えているのに、今世界に受け入れられていて、自分も惹かれているJポップが演歌と同じヨナ抜き音階であることの事実に対して強い抵抗感を感じていて、そのことを否定したいがために、演歌の起源は明治の演説歌だの、1970年代の藤圭子さんから始まって20年程度の短い期間だけに成立していたブームのようなものであり、小説「艶歌」にあるような商業的に作られた音楽分野でもあり、古来から連綿と続いている日本の伝統的音楽分野などでは決してないのだ、と強く否定したいのだろうと思います。
では訊くが、あなたの好きなかっこいい音楽であるロックやジャズやブルースは元を正せば白人にアフリカ大陸から奴隷と称した人狩りによって連れてこられた黒人達がアメリカでの激しい人種差別に晒されながら成立させた閉ざされた過酷な社会の中で生み出されたものであり、それを奴隷狩りの張本人である白人達が我が物顔で演奏しているという音楽であり、かっこいいどころか、言ってみれば恥ずかしい音楽ではないのか?
そんなロックやジャズやブルースに演歌を見下すどのような正当性があると言うのでしょうか?
これ以上は言いませんが、音楽を音楽のみで捉えず、ファッションやステータスで聴こうとすることの馬鹿馬鹿しさは糾弾されてしかるべきものでしょう。
クラシック音楽の世界でも自らの知的ステータスと捉える教養主義的な聴き方をする傾向が強くあり、一時期には、宇野某というクラシック音楽評論家を中心にしたフルトヴェングラーファン達によって本人達も説明出来ない意味不明の「精神性」という言葉を多用し、音楽よりも指揮者の人間性の高低!を評価の基準とする愚かな風潮に席巻され、カラヤンを人工的・商業主義と軽蔑する不毛の時代が30年ほど続いた時代がありました。
その後、フルトヴェングラーはカラヤンの天才に嫉妬して徹底的に妨害をしていたという事実や人格者として名高かったフルトヴェングラーが、実はドイツの各都市に複数の妾がいて、二桁(最大35人という説もある)の隠し子の生活費をベルリンフィルの給料から送金していた、という事実が明るみに出されれるという恥ずかしい歴史もあり、音楽を音楽以外の価値で評価することの弊害はどこの世界にもあることなので、ことさら注意しなければなりません。
このようなことは、本当の音楽ファンにとっては甚だ迷惑なだけで、音楽にとっても弊害しか生みません。
演歌が特殊な分野ではなく音楽の一つのジャンルであることを提示しなければならない時期に来ているということで、それを出来るのは市川由紀乃さんだけなのだろうと思います。
隆盛を誇った70から80年代演歌を知らないか、或いは関心のない世代は演歌にどのような認識を持っているのでしょうか?
それを知ろうとするときに必ず出てくる資料にレコード売上枚数というものがありますが、それを見ると80年代以前に限れば、「およげ!たいやきくん」「女の道」「黒猫のタンゴ」「恋の季節」「涙の操」の順のメガヒットが並びますがす。
この中で演歌は「女の道」(1972年:宮史郎とピンカラトリオ)と「涙の操」(1973年:殿様キングス)になり、これらが演歌の代表曲と認識されているのであれば、演歌が誤解されるのは当然でしょう。
この二曲は敢えて演歌風の歌い方や、ビジュアル的な泥臭さ、前時代的歌詞などを強調させた、ある意味面白さを追求した曲であり、「およげ!たいやきくん」や「黒猫のタンゴ」などの面白さに通ずるものがあります。
数ある演歌の名曲を知らずに、この二曲を以ってして「演歌」だという認識されているのでは、演歌を知らない世代の嫌悪感は分からないでもないです。
このような誤解を解くことが出来て、なおかつ本当の演歌の魅力を知らしめ、その美しさを伝えることが出来る歌手としては、市川由紀乃さんが最も相応しいのだと思っています。
そのためには、まずは、「白日」を始めとした最新のJポップの難曲を演歌的歌唱法を封印して歌い上げ、また、他のジャンルにも積極的に取り組み、その上で「細雪」や「みだれ髪」など名曲を通して演歌の美しさを伝えてゆくことで、Jポップと演歌の底流に流れる日本の音楽の可能性を切り開いてゆくのが、市川由紀乃さんに与えられた使命なのではないのかな、と思います。
あまりにも長くなったので、この辺で一旦、終了し引き続き、
・1965年頃から80年代までの演歌の隆盛の理由
・世界で受け入れられている、古くは「上を向いて歩こう」や最近のJポップのYOASOBIや藤井風、米津玄師の旋律が演歌と同じ日本古来のヨナ抜き音階で作られていることとその音階の歴史など
・さらには市川由紀乃さんが演歌と他のジャンルの架け橋としての役割を果たし、日本音楽の救世主となり得ることなど、について述べてみたいと思います。
(続く)
・世界を席巻したヨナ抜き音階の曲
<上を向いて歩こう 坂本九>
<アイドル YOASOBI>
<死ぬのがいいわ 藤井風>