<「大阪しぐれ」 藤圭子 都はるみ 市川由紀乃>
三人の天才演歌歌手の競演となっていますが、そのうちのお二人は市川先生の理想を引き継いだ方の歌唱なので、市川演歌の違いがとてもよく分かる映像になっています。
まず、藤圭子さんの歌唱です。
藤圭子さんについては皆さんよくご存知だと思いますが、確か視力的な困難を抱えたご両親の元で北海道各地を回りながら、まるで「風雪ながれ旅」のような暮らしの幼少期を過ごし、生計を支えるために歌った歌唱がプロの目に留まり中学卒業とともに上京、18歳で「新宿の女」で彗星のごとく鮮烈なデビューを果たしました。
その後は数々のビッグヒットを重ね、暗い瞳の美貌と相俟って「恨み節」の天才歌手の名を欲しいままにしました。
今でもその衝撃的なデビューはその生い立ちのエピソードとともに鮮明に焼きついています。
その後、宇多田ヒカルという天才少女がデビューしたときは、あの藤圭子の娘なら歌を聴かなくても巧いはずだと、誰もが思うほどでした。
また、悲しい最期を遂げたことも記憶に新しいところで、やはり、彼女の「恨み節」は彼女の全人生を掛けたものだったのかと思わせるものでした。
しかし、圭子さんがビートルズを歌う動画を見たことがありますが、激しい動きでリズムに乗り、演歌のときとは、別人のような完璧なロックンロールを披露していますが、ポップスの方により適性があったかもしれません。それを娘のヒカルさんが証明しているようにも思えます。
で、藤さんの「大阪しぐれ」ですが、やはり恨み節のキャッチフレーズで知られるとおり、ハスキーな歌声で流れるように市川先生の旋律を力強く歌い上げています。
ただ、ここでは、市川先生の求めた歌唱との比較となりますので、その違いに焦点を当ててみたいと思います。
全体的に歌詞の内容に即した表現を行っていますが、一字一句の持つ情感等の細やかな表現はあまり意図されていません。
それと、基本的に一曲を通じて、同じ声で歌われているため、市川先生が重視している、味わいや艶、優しさ等の感覚的な歌の魅力を盛り込むような歌唱では無いようです。演歌より歌謡曲に近い印象を受けます。
ハスキーな歌声や強く大きな節回しが心地よく、歌詞の意味がストレートに表現されていますが、市川先生には一本調子と言われそうですが、歌に求めているものが異なるので仕方ないでしょう。
一方、はるみさんと由紀乃ちゃんはそれぞれの声質や歌心の個性の違いこそあれ、一字一句を丁寧に多彩な表情を持った声・コブシを多用して緻密に表現することにより、味わいや艶、優しさ等の感覚的な要素がぎっしりと詰まった複雑で濃厚な歌唱となっております。
また、細やかに表現しているため、歌詞に歌われる女性の情感や舞台となる場所や時間、天候等のイメージも広がってきます。
はるみさんはパンチの利いた力強い歌声で、一音一音が弾むような生命感漲るこの歌唱に多くの人々が魅了されました。随所に遠い彼方に消えゆくような美しいビブラートを織り交ぜ、少し勝気な女性の哀しい心情と恋心を切々と歌い上げています。
一方、由紀乃ちゃんは、少し遅めのテンポで、艶っぽい流れるような歌唱で、あくまでも優しく、泣き声にも似た美しい歌声を駆使し、消え入りそうな弱々しい声を随所に折り込んで、か弱い女性の切ない想いを、しっとりと艶やかに歌います。
このように並べて聴いて見ると、同じ曲なのに求めるものが全く違うということが成立しているのですが、市川先生が求めた歌唱が如何に豊かな世界をもたらすのかを改めて知った思いです。
<大阪しぐれ 藤圭子>
<大阪しぐれ 都はるみ>
<大阪しぐれ 都はるみ>