言葉を司る双子座の私の興味が大爆発&大暴走している、

日本語の会話から考える 自分の気持ちシリーズ。

(ついに言語学の論文まで読み出した汗。誰かこの興味を止めてくれーー!!)

やっと論文が理解できて、ようやく書ききったぜ!

 

 

日常で日本語で話しているときにふと、

 

そういえば、私、何を言いたかったんだっけ?(汗)

アレ?で私はどう思っているんだろう?(白目)

 

という会話中に自分迷子になった経験ってありません?

 

 

なんでこんなことが起こるかというと、

日本語での会話は、話し手が一つの事柄を色々な聞き手に話すこと(話し手を中心として「話し手→聞き手」の流れで伝えること)が大切にされるから。

 

そのために、話す内容が事柄を描写するようになる傾向があるんです。

さらに、会話の文脈によっては重複する主語が省略されてしまい、

会話中に気持ちや考えを話そうとしたときに誰に・どこに意識を向けてよいか分からなくなりやすい。

 

そのような中で、

日常会話の中で自分の深いところにある気持ち(孤独、悲しみ、怒り、喜び、やりたいこと、求めているものなど)に気づくのは簡単ではありません。

だから、なんとなく生きているだけなのに、自分の気持ちが分からなくなってもおかしくはないのです。

(なんとなく生きているからこそ、分かりにくいのかもしれません!?)

 

 

じゃあ、わたし達は何に意識を向けて話しているのでしょうか?

 

 

それは、

 

会話内容の背景

 

なんです。

 

自分自身が妖怪「ぬりかべ」になって、

私を観察して、

その様子を私(=ぬりかべ)が話している。

話しているときに、実はそんな状況になっている。

 

 

例えば、

友達と話していて「今日は寒くて暖房をつけずにいられなかったよ〜。」と言われたとき。

 

返答として、

「そうだったんだ〜」(受容)

「そうだよね、私も〜(暖房をつけた)」(同意)

 

 

「で、それで??」ってなりません?

(で、その後は大体また出来事が語られるという流れ)

 

 

これって、会話するときに自分が体験した状況を語る(=描写する)ように話すから起こること。

 

 

日本語で話す場合、

会話の主語が「私」の時は、

会話の文脈や背景と関連してはいますが、話の内容自体には入ることがありません。

 

話し手は、あたかも話している内容を自分が眺めているかのように、

話し手の視点から見えた景色や人物(私や他人)の気持ちを話します。

 

その際、話す内容にほぼ言葉としての私(主語)はありませんが、

内容の文脈や背景に話す内容を見ているという「視点」となって私は存在しているんですね。

 

これこそ、私が妖怪・ぬりかべとなって、私を見て話している状態。

そのため、会話内容は描写しがちな表現になるんです。

 

 

つまり、

私たちは話すときに

「私から見た」「〇〇(私や他者・モノ・事柄)」を話している。

「見ている」ということは、前者と後者には距離がある。

「話している私」は、「自分が話す内容に出てくる私そのもの」になることができないのです。

 

 

だからこそ、

話しているときに自分の気持ちや考えが分からなくなってしまう。

特に、自分の内側の奥底にあるような気持ちは、話している私からしたら、

「会話に出てくる私」のその先の遠いところにあるので自分では分かりづらいということなんです。

 

 

ということは、

脱・ぬり壁(私の観察者)すれば、自分の気持ちや考えが分かるんじゃないのか!

って思いませんか?

 

来週に続くっ!

 

 

 

【日本語の会話から考える、自分の気持ちシリーズ】

 
 
人生はオモロ〜!