私の腫瘍は
「サランちゃん」
私は乳がんサバイバーです。
腫瘍発覚から検査、
がんの告知、手術、治療までの
身体と心の変化と寄り添い方に
ついてお話しています。
同病の方、
病気治療中の方、
身近で一緒に寄り添っている方
のみならず、
すべての方に読んでいただきたい
その気持ちで体験をシェアしていきます。
マンモ検査で腫瘍が見つかり、
1回目の組織検査の結果待ちまでが
前回のお話でした。
組織を取って病理結果待ちの
半月間は、
できる限りの予定を
キャンセルして身軽にし
表面上は、
家事、育児、出勤など
日常生活は腫瘍発覚以前と
変わらずこなしていました。
ただ、
何をしていても
「結果は白かな?黒かな?」
という気持ちが浮かんでは消えていました。
「どうして病理検査は
こんなに時間がかかるのかしら?」
「早く結果が知りたい。
悪いものなら、
早くバイバイしたい」
と考えていたので、
この結果を待つ間が、
私にとってはきつかったです
毎日、
何度も何度もカレンダーや
時計を見て次の診察日を
今か今かと待っている自分がいました。
手術に備えて
飲んでいたサプリメントはストップし
インフルエンザ接種の予約も
取り消しました💉
タバコは、
無理に禁煙はしませんでしたが、
自然と本数は減っていました。
以前と何も変わらない感じに
見せるように無理をしていたと
思います
反面、
心の中は震えまくっていて、
一人で部屋にいると
涙が自然とあふれてきました
夜に空を眺めて、
上を向いていても
涙はいっぱい出てきました
毎朝、
起きると目の横には、
一直線に涙の筋ができていました
泣きたい時は、
泣きたいだけ泣いて
その時の感情は吐きだして
いました。
よくお参りに行く、
家の近くの氏神さまへ
足が向くことが多くもなりました⛩
神様から、
何か言葉をいただけないかな
と期待して行っていました。
この時はもう、
心の学びも進み、
チャネラーとして仕事ができるように
なる「チャネラー認定」の直前で、
ある程度
自分に向き合ったり、
感情とのお付き合いも
できるようになっていました。
「感情は
封じこめないで出して良いよ」
と自分に許可も出していたけど、
出しても出しても、
不安と恐怖が奥底から
出てくるのが
わかりました
そしてもう一つ、
決断することが残っていたのです。
チャネラーとして活動し
独立起業したかったので、
翌年から
チャネリングの先生の起業塾への
参加を表明していました。
これを、
「どうしようか?」
ということでした。
結果次第では、
物理的に参加も不可能になるし、
何よりも、
精神的に自分が続けられるのか?
が何も見えない状態だったからです。
少しだけ一人で考えましたが、
答えが出せなかったので先生に
相談しました。
先生は起業塾の話ではないことを
話してくれました
「愛さん
腫瘍ちゃんをいっぱい愛してあげてね。
愛さんの中にいる大切な、
愛さんの一部なんだよ。
悪いもの扱いしないで
要らないもの扱いしないで
サヨナラが来るその日まで
仲良くして、たくさん愛してあげてね。
いつも、
腫瘍ちゃんにありがとうを伝えてごらん」
もう、目からウロコがぽろぽろ落ちました。
腫瘍(がん細胞)と仲良くする、
腫瘍(がん細胞)を愛する。
腫瘍(がん細胞)に感謝を伝える
そうですね、
腫瘍を「ない」もの「亡き者」にした前提で
すべてを動かしていた事に気づいたのです
素直なわたしは早速仲良くなる方法を考えました。
可愛い名前が良いな
そうだ、、
「サランちゃんにしよう」
サランは、
韓国語のサランヘヨ(愛してる)から取りました。
私の名前、愛も「サラン」だし可愛いわ
「サランちゃん」
と、検査で穴のあいてしまったサランちゃんに
向かってよびかけると、
さっきまで
真っ黒に見えていた腫瘍の部分が、
明るいピンク色に見えてきました。
そうだ、
【腫瘍も大切なわたしの一部】
さようならする
その日まで
私は、この子と仲良く過ごそう
そう思えたら、
一緒に向き合える
そんな気がしてきたのです