実に三年ぶりの再会だった。
応接室に姿を現したエドモンドを見て、アルヴィンは思わず目を細めた。
(……少し痩せたかな?)
以前に会ったときと比べると、どこか顔つきが変わったように感じる。
長旅の疲れだけではないのかもしれない。
エドモンドは、アルヴィンの前まで進み出ると、深々と頭を下げた。
「アルヴィン様。ご無沙汰しております。こうして再びお会いできたこと、大変嬉しく思います」
「久しぶりだね、エドモンド。遠いところ、よく来てくれたね」
アルヴィンが微笑むと、エドモンドも少しだけ表情を和らげた。
「リリア様も、お久しぶりでございます。お変わりなく何よりです」
「ええ、エドモンドも元気そうで……と言いたいところだけれど、少し痩せたのではないかしら?」
リリアが心配そうに尋ねる。
「はは……少々、忙しい日々が続いておりまして」
エドモンドは苦笑いを浮かべた。
その言葉に、アルヴィンは先ほど感じた違和感の理由が少し分かった気がした。
忙しい。
それだけで片づけられる問題ではないのかもしれない。
「こちらは、私の末娘のクラリッサでございます」
エドモンドに紹介され、一人の少女が一歩前に出た。
アルヴィンよりも年上で、落ち着いた雰囲気をまとっている。
「初めまして、アルヴィン・レグナード公爵様。クラリッサと申します。父がいつもお世話になっております」
クラリッサは、礼儀正しく頭を下げた。
「初めまして、クラリッサさん。遠いところまで大変だったでしょう。ゆっくりしていってください」
「ありがとうございます」
クラリッサは顔を上げ、穏やかな笑みを浮かべた。
その後、リリアやエレナたちも交えて、しばらくは和やかな挨拶が続いた。
やがて一同が席に着くと、自然と話題は近況へと移っていった。
「そういえば、エドモンド。僕たちがこちらへ来てから、王宮の様子はどうなっているの?」
アルヴィンが尋ねると、エドモンドは少し考えてから答えた。
「そうですね……リリア様が王宮を離れられてから、以前とは随分と様子が変わりました」
「そうなの?」
「はい。貴族たちの勢力争いも相変わらずでございます。表向きは何事もないように振る舞っておりますが、水面下ではさまざまな駆け引きが続いているようです」
リリアは、静かに話を聞いていた。
かつて自分が暮らしていた場所。
そこを離れてから、もう長い時間が経ったようにも感じられる。
「アルヴィン様がノルディア王国へ移られたことで、勢力図も少なからず変わったようです。もっとも、私が知る限りの話ではございますが」
「なるほど……」
アルヴィンは頷いた。
王宮の事情について、今さら深く関わるつもりはない。
それでも、かつて暮らした場所がどうなっているのか、多少は気になっていた。
「それから……」
エドモンドは、少し表情を曇らせた。
「アルヴィン様の領地が大規模な襲撃を受けたと聞いたときは、本当に驚きました」
その声には、心配していたことがはっきりと表れていた。
「五百人もの賊が押し寄せたと聞きました。アルヴィン様ご自身に何かあったのではないかと……」
「心配してくれてありがとう。大変だったのは確かだけど、今はもう落ち着いているよ」
「そうでしたか……。ご無事で、本当によかったです」
エドモンドは、心から安堵したように息を吐いた。
アルヴィンは、そんな彼の様子を見て、少しだけ表情を和らげた。
王宮にいた頃、エドモンドにはいろいろと世話になった。
こうして遠くまで訪ねてきてくれたことも、素直に嬉しかった。
しかし、話が進むにつれて、アルヴィンはあることに気づき始めていた。
エドモンドは、先ほどから時折、言葉を選ぶような仕草を見せている。
何かを話そうとしては、口を閉じる。
その繰り返しだった。
そして、とうとうエドモンドは意を決したように口を開いた。
「……実は、本日はアルヴィン様にお願いしたいことがございまして」
(ああ、やっぱりそれが本題か)
アルヴィンは内心で小さく息を吐いた。
三年ぶりにわざわざ訪ねてきたのだ。
ただ挨拶をするためだけではないだろうとは思っていた。
「お願い?」
「はい……」
エドモンドは、膝の上で両手を組み合わせた。
「お恥ずかしい話ではございますが、私の商会が、現在、大変厳しい状況に置かれておりまして……」
そこからエドモンドは、少しずつ事情を語り始めた。
もともと、エドモンドの商会は王家御用達ではなかった。
王宮との取引においては、古くから王家の御用を務めてきたローゼン商会が圧倒的な影響力を持っていた。
取引規模も大きく、王宮に出入りする貴族や役人たちとのつながりも深い。
そのため、エドモンドの商会が王宮で存在感を示すことは難しかった。
それでも、リリアやアルヴィンとの取引があった頃は違った。
王家とつながりのある商会。
その評判は、商人たちの間でも信用につながっていた。
王家との直接的な取引がなくとも、王宮に縁のある相手と商売をしているという事実が、エドモンドの商会にとって大きな後ろ盾になっていたのだ。
しかし、リリアがノルディア王国へ移り、アルヴィンもベルク王国を離れたことで、そのつながりは失われた。
すると、状況は少しずつ悪化していった。
王宮との取引が減り、それまで築いてきた信用にも陰りが見え始める。
国内の商売でも、ローゼン商会との競争に敗れることが増えていった。
豊富な資金力と幅広い販路を持つローゼン商会に対し、エドモンドの商会は次第に押されていったのである。
「現在は、昔からお付き合いのあるお得意様に支えていただき、何とか商会を維持している状態でございます」
エドモンドは、悲壮感をにじませながら説明を続けた。
「ですが、このままでは先行きが見通せません。取引先を増やそうにも、信用を取り戻すには時間がかかります。資金にも限りがあり、以前のように商売を広げることも難しく……」
話し終えたエドモンドは、深くうなだれた。
クラリッサも、父の隣で心配そうに顔を伏せている。
(……なるほど。これは大変だったね)
アルヴィンは、素直にそう思った。
同時に、別の感情も湧いていた。
(うーん……なんだか面倒な話になってきたな)
商会の経営が苦しい。
それ自体は同情する。
しかし、アルヴィンにとって、ベルク王国での商売は今すぐ解決しなければならない問題ではなかった。
こちらにはこちらの領地があり、町の整備も進めなければならない。
新しい教会の建設だってある。
何より、今後のことを考えれば、自分の事業や眷属たちの組織づくりにも力を入れたい。
他国の商会を救うために、どこまで手を貸すべきなのか。
簡単に決められることではなかった。
「そこでですね、アルヴィン様にお願いに参った次第でして……」
エドモンドが、慎重に言葉を続けた。
アルヴィンは、静かに彼を見つめた。
「エドモンド。王宮にいた頃、君にはいろいろと世話になった。そのことは、今でも感謝しているよ」
「い、いえ! とんでもございません。私は当然のことをしたまでです」
エドモンドは慌てて手を振った。
しかし、アルヴィンの表情は、そこでわずかに変わった。
先ほどまでの穏やかな少年の雰囲気が薄れ、代わりに領主としての落ち着きが前面に出る。
「だけど、それとこれとは別だ」
室内の空気が、わずかに張り詰めた。
「今の僕は、ノルディア王国のアルヴィン・レグナード公爵だ。ベルク王国にいた頃の関係だけで、簡単に物事を決めるわけにはいかない」
「……はい」
エドモンドは、表情を変えないよう努めながら頷いた。
内心では、アルヴィンの変化に驚いていた。
かつて王宮で接していた少年は、まだ幼さを残していた。
それが今では、十二歳とは思えないほどの貫禄を身につけている。
言葉遣いは穏やかでも、その態度には明確な一線があった。
(やはり……ただお願いするだけでは、難しいか)
エドモンドは、心の中で気を引き締めた。
それでも、ここまで来た以上、簡単に引き下がるわけにはいかなかった。
アルヴィンなら、何か力になってくれるのではないか。
そんな期待を抱いて、遠い道のりを越えてきたのだから。
「はい。アルヴィン様のお立場は、重々承知しております。決して、昔のご縁だけを頼りにお願いしようとしているわけではございません」
エドモンドの額には、うっすらと汗が浮かんでいた。
そのときだった。
アルヴィンの隣に座っていたリリアが、そっと口を開いた。
「アル。エドモンドを助けてあげられないかしら?」
「……リリア母様?」
思いがけない言葉に、アルヴィンは母を振り向いた。
リリアは、困ったように微笑んでいた。
「王宮にいた頃、エドモンドにはいろいろと助けてもらったの。私が困っていたときにも、力になってくれたわ」
そして、エドモンドに視線を向ける。
「もちろん、無理をしてほしいわけではないのよ。でも、アルなら何か方法を考えられるんじゃないかしら」
その言葉に、アルヴィンは困ったように眉を下げた。
(……リリア母様に言われたら、断りにくいんだけどなあ)
母には、どうしても弱い。
しかも、エドモンドに世話になったのは事実だった。
すべてを断るのも、少し違う気がする。
アルヴィンは小さく息を吐いてから、エドモンドへ向き直った。
「分かりました。話は聞きます」
「ほ、本当でございますか!」
エドモンドの顔に、ぱっと安堵の色が広がった。
「ただし、最初に言っておくよ。僕にとって不利益になる話なら、協力できない。そこは理解してほしい」
「もちろんでございます! ありがとうございます、アルヴィン様!」
エドモンドは、深々と頭を下げた。
アルヴィンは、その様子を見ながら、少しだけ苦笑した。
(引き受けるとは言ったけど、解決できるとは限らないんだけどな……)
そもそも、自分に何ができるのだろう。
商会の経営を立て直すといっても、相手は長年、王家御用達として商売を続けてきたローゼン商会だ。
簡単に覆せる相手ではないはずだ。
「とはいえ……僕に何ができるかな」
アルヴィンが正直な気持ちを漏らすと、リリアがすぐに微笑んだ。
「大丈夫よ、アル。あなたはすごいんだから」
「いや、母様……」
「昔、私に素敵なアクセサリーを作ってくれたでしょう?」
「それは……そうだけど」
「それに、アルヴィン様ならきっと何か方法を見つけられると思います」
今度は、エレナまで口を添えた。
「エレナまで……」
「はい。アルヴィン様は、いつも私たちが思いもつかないようなことを考えてくださいますから」
二人からまっすぐに褒められ、アルヴィンは居心地が悪そうに視線をそらした。
「もう、分かったから。そこまで褒められると、さすがに恥ずかしいよ……」
その様子に、リリアは楽しそうに笑った。
エドモンドもまた、ようやく肩の力を抜いたようだった。
少なくとも、話を聞いてもらえることは決まったのだ。
それだけでも、ここまで足を運んだ意味はあった。
「それでは、具体的なお話は明日にいたしましょう」
アルヴィンがそう提案すると、エドモンドはすぐに頷いた。
「承知いたしました。必要な資料も、明日までに整理しておきます」
「うん。商会の状況が分かるものを、できるだけ持ってきてほしい。取引先や扱っている商品、今の問題点も知りたいから」
「かしこまりました」
こうして、その日の話し合いは一旦お開きとなった。
エドモンドとクラリッサは、リリアやアルヴィンたちに改めて礼を述べ、用意された部屋へと案内されていった。
二人の姿が見えなくなると、アルヴィンは椅子の背もたれに体を預けた。
「……さて、どうしたものかな」
誰に聞かせるでもなく、ぽつりと呟く。
ベルク王国を離れてから、あちらの商売に関わるつもりは特になかった。
けれど、エドモンドには恩がある。
リリア母様からも頼まれてしまった。
(まずは、話を聞いてから考えるしかないか)
アルヴィンは、明日の話し合いに向けて、頭の中でいくつかの可能性を整理し始めた。