セレスティアは、柔らかな朝の光を感じながら目を覚ました。
侍女に身支度を手伝ってもらい、髪を整えてもらう。
準備を終えると、セレスティアは部屋を出て、談話室へと向かった。
もう少しすれば、朝食の時間らしい。
談話室には、屋敷の侍女が一人控えていた。
セレスティアは彼女に声をかけた。
「すみません。アルヴィン様は、今どちらにいらっしゃいますか?」
「アルヴィン様でしたら、現在は屋外で素振りをなさっております」
「素振り……ですか?」
「はい。朝は武術の訓練をなさることが多いです」
セレスティアは少し考えたあと、侍女にお願いした。
「よろしければ、アルヴィン様のいらっしゃる場所まで案内していただけませんか?」
「かしこまりました。ご案内いたします」
侍女の案内で屋敷の外へ出る。
しばらく歩くと、武術の訓練に使われているらしい広場にたどり着いた。
そこには、一人の少年がいた。
アルヴィン・レグナード公爵。
アルヴィン様は、木剣を手に黙々と素振りを繰り返していた。
セレスティアが近くまで来ていることにも、まだ気づいていないようだった。
その姿を見て、セレスティアは思わず足を止めた。
無駄のない動き。
木剣を振り下ろすたびに、身体の軸がぶれない。
一振りごとに、確かな積み重ねを感じさせる動きだった。
(……すごい)
セレスティアは、剣術の心得があった。
幼い頃から、武術の訓練を受けてきたのだ。
同年代の相手であれば、大抵は勝てる。
そんな自信も持っていた。
だからこそ、アルヴィンの素振りを見て、少なからず驚いていた。
ただ剣を振っているだけではない。
動きの一つ一つに、技術と鍛錬が感じられる。
十歳の少年が身につけているものとしては、かなりの練度だった。
(もし、私と戦ったら……)
勝てるだろうか。
そう考えた瞬間、セレスティアは自分の中にあった自信が、わずかに揺らぐのを感じた。
もちろん、素振りを見ただけで勝敗を判断することはできない。
それでも、少なくとも簡単に勝てる相手ではなさそうだった。
セレスティアがそんなことを考えている間も、アルヴィンは素振りを続けていた。
やがて、一連の動きを終えると、アルヴィンは木剣を下ろした。
そして、ようやくこちらに気づいた。
「あっ……セレスティア様?」
先ほどまで鋭い気配をまとっていた少年は、まるで別人のように柔らかな表情を浮かべた。
「いつからいらっしゃったんですか?」
「つい先ほどです」
セレスティアが答えると、アルヴィンは少し申し訳なさそうに頭を下げた。
「すみません。素振りに集中していて、気づきませんでした」
「いえ、お気になさらないでください」
「それに……朝から、こんなつまらないものをお見せしてしまって」
アルヴィンは、少し恥ずかしそうに頬をかいた。
先ほどまでの見事な剣さばきを見ていたセレスティアは、思わず目を瞬かせた。
(つまらないもの……?)
あれほどの動きをしておきながら、本人はそう思っているらしい。
セレスティアは、目の前の少年を改めて見つめた。
剣を握っていたときの鋭さと、今の穏やかな雰囲気。
その落差に戸惑いながらも、彼女の中でアルヴィンへの興味は、さらに深まっていった。
* * *
その後、二人は屋敷に戻り、朝食をとった。
食事を終えると、アルヴィンとセレスティアは談話室で話をすることになった。
向かい合ってソファに座り、侍女が用意してくれたお茶を飲みながら、二人は会話を始めた。
「そういえば、セレスティア様は武術に詳しいんですか?」
アルヴィンが尋ねると、セレスティアは少し嬉しそうに頷いた。
「はい。幼い頃から訓練を受けています」
「そうなんですね。実は、先ほどセレスティア様がいらっしゃったことに、全然気づきませんでした」
「集中されていましたから。それに、アルヴィン様の素振りはとても見事でした」
「えっ? そうですか?」
アルヴィンは照れくさそうに頬をかいた。
「まだまだですよ。もっと上手くなりたいと思っています」
その言葉に、セレスティアは少し驚いた。
あれほどの動きをしておきながら、本人はまだ満足していないらしい。
「アルヴィン様は、いつ頃から武術を始められたのですか?」
「本格的に始めたのは、ずいぶん前ですね。剣だけじゃなくて、いろいろなことを試しています」
「ほかには、どのようなことを?」
「魔法の訓練もしていますし、実際にモンスターと戦うこともありますよ」
「モンスターと?」
セレスティアの目が、わずかに輝いた。
貴族の子供が武術や魔法を学ぶこと自体は珍しくない。
しかし、実際にモンスターと戦った経験があるとなれば、話は別だった。
「はい。ゴブリンなんかと戦うこともあります」
「怖くはないのですか?」
「もちろん、油断はできませんよ。相手が弱いからといって、簡単に考えるのは危険ですから」
アルヴィンは当たり前のことのように答えた。
セレスティアは、その言葉を心に留めた。
武術の腕だけではない。
戦いに対する考え方にも、年齢に似合わない慎重さがある。
その後も、二人はモンスターの種類や戦い方について話をした。
やがて話題は王都での暮らしや、貴族の間で流行していることなどへ移っていった。
アルヴィンは王都を離れてからの生活について話し、セレスティアは王都で見聞きした出来事を話した。
特別な話題がなくても、会話は途切れなかった。
セレスティアにとっても、アルヴィンは思っていた以上に話しやすい相手だった。
そして、しばらく雑談が続いた頃。
セレスティアは、頃合いを見計らって話題を変えた。
「そういえば、アルヴィン様。少し珍しいものを持っているのですが、ご覧になりますか?」
「珍しいもの?」
「はい。魔道具なのですが」
「魔道具ですか?」
アルヴィンの表情が、ぱっと明るくなった。
「ぜひ見せてください!」
その反応に、セレスティアは思わず微笑んだ。
魔道具そのものを見るのが初めてなのだろう。
興味津々といった様子で身を乗り出すアルヴィンを見て、彼女は懐から小さな箱を取り出した。
蓋を開けると、中には美しい装飾の施された腕輪が収められていた。
「これは、バングルと呼ばれるものです。手首にはめて使うそうです」
セレスティアは箱から取り出し、アルヴィンに見せた。
金属の表面には細かな模様が刻まれており、装飾品としても十分に美しい。
「へえ……。これが魔道具なんですね」
アルヴィンは、興味深そうに眺めた。
「どんな効果があるんですか?」
「身につけると、光るそうです」
「光る?」
「はい。私も詳しいことは知らないのですが、手首にはめると小さな光が一瞬だけ現れるそうです」
「へえ! 面白いですね」
アルヴィンは、バングルをじっと見つめた。
魔道具といえば、何か特別な力を発揮するもの。
目の前のバングルが、いったいどんな仕組みで光るのか気になって仕方がなかった。
「アルヴィン様も、試しにはめてみますか?」
セレスティアは、ごく自然な調子で勧めた。
しかし。
「えーと……どうしようかな?」
アルヴィンは、すぐには手を伸ばさなかった。
セレスティアは内心、少し驚いた。
興味を持ってくれることは予想していたが、まさか警戒されるとは思っていなかったのだ。
「別に、悪いものではありませんよ?」
そう言ってみるものの、アルヴィンはまだ考え込んでいた。
「うーん……。もし、はめたら取れなくなるとか……」
「え?」
「それか、はめた瞬間に婚約が確定するとか、そんなことはない?」
セレスティアは、一瞬ぽかんとした。
そして、次の瞬間。
「ふふっ……」
思わず、小さな笑い声が漏れた。
「す、すみません。笑うつもりはなかったのですが……」
セレスティアは口元を押さえ、慌てて謝った。
まさか、魔道具を前にそんな心配をするとは思わなかったのだ。
「いえ……。だって、そういう不思議な道具があってもおかしくないでしょう?」
アルヴィンは、少しだけ不満そうに言った。
「確かに、そうかもしれませんね」
セレスティアは笑みを残したまま頷いた。
「でも、大丈夫です。ただ光るだけですから」
「本当に?」
「はい。少なくとも、私が聞いている限りでは」
最後の言葉に、アルヴィンはわずかに考えるような表情を浮かべた。
だが、目の前のバングルへの興味が勝ったらしい。
「……そこまで言うなら、試してみようかな」
アルヴィンは、そっとバングルを手に取った。
そして、手首にはめる。
その瞬間だった。
バングルが、光を放った。
「おおっ!」
アルヴィンは思わず声を上げた。
光は、直視できないほど眩しいわけではない。
しかし、部屋の中でもはっきりと分かるほど明るく、バングル全体から淡い輝きが広がっていた。
アルヴィンは手首を動かし、さまざまな角度から眺める。
「すごい……。本当に、はめるだけで光るんですね」
その表情は、すっかり魔道具に夢中になった子供そのものだった。
「これ、ランプの代わりに使えそうですね」
「ランプ、ですか?」
「はい。これくらい明るく光るなら、暗い場所を照らすのにも使えるかもしれません」
アルヴィンは、実用的な使い道を考え始めていた。
セレスティアは、その様子を静かに見つめていた。
父から頼まれたことは、ただ一つ。
アルヴィン様がバングルを身につけたとき、光るかどうかを確かめること。
そして、今。
バングルは、確かに光を放っている。
目的は達成できた。
けれど、セレスティア自身は、この魔道具にどのような意味があるのか知らされていなかった。
なぜ、父はアルヴィンにこれを身につけさせたかったのだろう。
なぜ、光るかどうかを確認する必要があったのだろう。
考えても、答えは出なかった。
ただ一つ、気になっていることがあった。
この魔道具は、ノルディア王家に関係するものなのではないか。
確かな根拠があるわけではない。
それでも、父の態度や今回の依頼を考えると、そう推測するのが自然に思えた。
セレスティアは、バングルを興味深そうに眺めているアルヴィンへ視線を戻した。
目の前の少年は、何も知らない様子で光の具合を確かめている。
この輝きに、どのような意味が隠されているのか。
それを知るのは、もう少し先のことになりそうだった。