ちょうど春。
貴族たちが王都に集まる時期と重なったことが原因だろう。
大広間の両脇には、色とりどりの衣装を身にまとった貴族たちが並んでいる。
その視線が、一斉に俺へと向けられていた。
流石に緊張する。
俺は深呼吸を一つしてから、大広間の中央に敷かれた絨毯の上を歩き始めた。
絨毯の先には、豪華な装飾が施された王座。
そこに座っているのが、ノルディア王国の国王、エリック・ノルディアだ。
ベルク国王への謁見を経験しているとはいえ、緊張しないわけではない。
ましてや、これから俺はこの国で生きていくことになる。
余計な失敗は避けたいところだ。
やがて王座の前までたどり着くと、俺は礼儀に従って一礼した。
「ベルク王国第一王子、アルヴィン・ベルク殿下。遠路はるばる、よくぞ参られた」
「お目にかかれて光栄です。アルヴィン・ベルクと申します」
互いに名乗り、形式に則った挨拶を交わす。
その後、エリック国王は俺を見据え、ゆっくりと口を開いた。
「アルヴィン殿。そなたはこれより、ノルディア王国の貴族として新たな道を歩むことになる」
「はい」
「ならば、これまでの立場に縛られる必要はあるまい。そなたには新たな名を与えよう」
……新たな名?
思わず顔を上げた。
そういえば、俺はこれからノルディア王国の貴族になるのだ。
ベルク王国の第一王子という立場を離れる以上、これまでの名前をそのまま使うわけにはいかないのだろう。
「アルヴィン・レグナード」
国王が、はっきりと告げた。
「これより、そなたはアルヴィン・レグナードと名乗るがよい。そして、ノルディア王国の公爵として、この国に尽くすのだ」
「……ありがたき幸せ。陛下より賜った名に恥じぬよう、精進いたします」
俺は深く頭を下げた。
アルヴィン・レグナード。
口の中で、新しい名前をそっと繰り返す。
悪くない。
むしろ、かなり格好いい名前だと思う。
ベルク王国の第一王子だった俺は、もういない。
これからはレグナード公爵として生きていく。
そう考えると、少しだけ気持ちが切り替わった。
「では、改めて宣言する」
エリック国王が立ち上がる。
「ここに、アルヴィン・レグナード殿にノルディア王国の公爵位を授けることを宣言する」
大広間に国王の声が響き渡った。
こうして俺は、レグナード公爵となった。
その後、式は滞りなく進み、公爵として国王への忠誠と、国の発展に尽くすことを誓う宣誓も終えた。
これで一段落。
少なくとも、ここまでは何の問題もなかった。
問題が起きたのは、その直後だった。
「アルヴィン公爵。お主に伝えておくことがある」
エリック国王が、俺に向かって口を開いた。
……ああ。
来たか。
実は先ほどから、なんとなく不穏な気配を感じていたのだ。
ベルク国王が俺に仕掛けてきた、あの最悪なサプライズ。
あれを経験した身としては、こういう場面で素直に安心することができない。
もっとも、二度目ともなれば話は別だ。
驚きはするだろう。
だが、精神的な耐性は確実についていた。
「ミレアのことだが……ヴァルター・グランツ侯爵の三男とも、婚約を結ぶことになった」
…………。
………………。
何ということでしょう。
頭の中で、どこかのテレビ番組のナレーションが流れた。
来て早々、婚約者にもう一人の夫候補ができました。
いや、待ってくれ。
俺、まだこの国に来たばかりなんだけど?
公爵位を授けられたと思ったら、今度はこれか。
「はぁ……」
思わず、ため息が漏れそうになった。
またか。
またなのか。
どうして俺の人生は、こうも面倒事に事欠かないのだろう。
そんなことを考えていると、大広間の脇にある扉が開いた。
入ってきたのは、ミレア。
そして、その隣を歩く一人の男だった。
男は、俺より少し年上に見える。
整えられた衣服こそ上等だが、目つきは悪く、口元には人を見下すような笑みが浮かんでいた。
……なるほど。
いかにも、という感じだ。
ヴァルター・グランツ侯爵の三男。
名前は……まあ、今はどうでもいい。
男は俺を見つけると、露骨に見下すような視線を向けてきた。
そして、わざとらしくミレアの手を取った。
まるで、自分が勝者であることを見せつけるかのように。
ミレアは何も言わなかった。
ただ、その表情は意外にも普通だった。
悲しんでいる様子も、戸惑っている様子もない。
隣にいる男と手を繋いでいるというのに、特別な感情を表に出すこともなかった。
……どういうつもりなんだ?
俺には、ミレアが何を考えているのか分からなかった。
男は勝ち誇った顔のまま、こちらへ声をかけてきた。
「これはこれは、レグナード公爵。お情けで公爵位をいただけたそうですな。いやはや、実に幸運なことだ」
嫌味たっぷりの口調。
周囲の貴族たちが、こちらの様子をうかがっている。
「それにしても、ミレア姫と婚約できるだけでも十分に幸せだと思うがな。これ以上を望むのは、少々欲張りというものではないか?」
男が笑う。
すると、その背後にいた貴族たちからも声が上がった。
「まったくですな」
「公爵位まで与えられたのですから、感謝なさるべきでしょう」
「これほどの待遇を受けて、まだ不満でもあるのですかな?」
まるで野次だ。
一人が口を開けば、別の誰かが続く。
彼らは俺を見て笑い、互いに目配せしながら、好き勝手な言葉を投げつけてくる。
……なるほど。
よく分かった。
この場にいる全員が敵というわけではないだろう。
だが、少なくともグランツ侯爵に近い連中は、俺を歓迎するつもりなどないらしい。
それでも、俺は冷静だった。
もちろん、腹は立っている。
目の前の男にも。
それを面白がっている貴族たちにも。
そして、こんな茶番を公の場で許している、この国の王にも。
だが、ここで怒鳴ったところで何になる?
相手の思うつぼだ。
俺は、彼らの顔を一人ずつ眺めながら、心の中で結論を出した。
やっぱり貴族というのは、ゴミクズみたいな連中が多い。
ベルク王国で嫌というほど思い知らされたことを、まさか隣国でも再確認することになるとは。
もっとも、感情だけで判断するつもりはない。
なぜ、こんなことになったのか。
俺は頭の中で、これまでに集めた情報を整理した。
そして、AIに問いかける。
『今回の婚約について、どう思う?』
『現時点で収集した情報から推測すると、ノルディア王国内の権力バランスが大きく関係していると考えられます』
AIの声が、頭の中に響いた。
『現在、ヴァルター・グランツ侯爵の勢力は急速に拡大しており、国王であっても簡単には抑え込めない状況にあるようです』
やはりか。
『一方で、ミレア王女をグランツ侯爵家に嫁がせれば、侯爵家の影響力は王家を上回り、将来的に王位そのものを脅かす可能性があります』
『そのため、当初はミレア王女を隣国ベルク王国へ嫁がせることで、王家と侯爵家の力関係を維持しようとした可能性があります』
俺は心の中で頷いた。
隣国の王族と縁を結べば、いざというときにベルク王国の支援を期待できる。
グランツ侯爵家への牽制としては、悪くない手だ。
ただし、そこで問題が生じた。
『アルヴィン様をノルディア王国へ迎え入れる見返りとして、ベルク王国から多額の支援を受ける取り決めが成立したと推測されます。その結果、ミレア王女はノルディア王国内に留まることになったのでしょう』
……そういうことか。
俺を引き取る代わりに、莫大な支援を受け取る。
その取引によって、ミレアを隣国へ嫁がせる必要がなくなった。
しかし、グランツ侯爵家の勢力は依然として強大なまま。
ならば、どうするか。
『ミレア王女と侯爵家の三男を婚約させることで、侯爵家を王家の枠組みに取り込み、国内の勢力均衡を図ろうとしている可能性があります』
つまり、ミレアは国内の権力争いを調整するための駒にされたわけだ。
俺との婚約を維持するよりも、グランツ侯爵家との関係を優先した。
それだけの話。
もちろん、これは集めた情報からの推測にすぎない。
だが、目の前の光景を見れば、あながち間違ってはいないだろう。
俺は小さく息を吐いた。
何だろうな。
もう、あまり期待していない。
本当は、ミレアと結婚して、穏やかで幸せな人生を送りたかった。
五年も会っていない婚約者。
それでも、再会すれば、きっと何かが変わると思っていた。
この国なら、ベルク王国とは違う未来があるかもしれない。
そう考えていた時期もあった。
けれど、どうやらそれも難しそうだ。
おそらく俺は、与えられた領地に赴くことになる。
そしてミレアとグランツ侯爵家の三男は、王都で夫婦として暮らす。
俺は遠く離れた領地で、領地経営に追われる日々。
ミレアは王都で、あの男と暮らす日々。
そんな未来が、妙にはっきりと想像できてしまった。
……はは。
笑えないな。
結局、俺はこの国でも同じ扱いなのか。
ベルク王国では、王族でありながら厄介者として扱われた。
そしてノルディア王国では、公爵位と新たな名前を与えられたものの、国内の権力争いに都合よく利用される。
国が変わっても、立場が変わっても、やることは同じらしい。
俺は大広間に並ぶ貴族たちを見渡した。
彼らの中に、俺の味方になってくれる人間はいるのだろうか。
今のところ、期待できそうにはなかった。
……まあ、いい。
もう、期待するのはやめよう。
誰かに幸せな人生を用意してもらおうなんて、考えるから失望するのだ。
俺には領地がある。
自分で切り開ける未来がある。
ミレアとの幸せな
結婚が叶わなくても、
俺自身の人生まで諦める必要はない。
そう考えながら、
俺は表情を変えずに立っていた。
少なくとも、この場にいる連中には、俺が何を考えているのか悟らせるつもりはなかった。