土曜はだんなのいとこさんの結婚式に行きました。
だんなは仕事で不在でしたが・・・
桜の下で本当に綺麗でした!
シンプルでアットホームで
人の温かさが伝わる良い式でした
挙式後は、同じ教会の敷地内で、
教会のボランティアの人たちが手作りで持ち寄ってくださった
サンドイッチや、ケーキ、お赤飯などをいただきました
外で食べるサンドイッチで、
こんなに美味しいと思ったのは初めてかもしれない!って思って
きっと作る人の気持ちがこもって
いるからなんだろうなーなんて感じました
最近、「愛」に凝っている
あいためですが、私の琴線に触れた
神父さんが読み上げた一説を紹介します。
愛の賛歌(コリントの使徒への手紙13章1-8)
たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、
愛がなければ、私は騒がしいどら、 やかましいシンバル。
たとえ、預言する賜物を持ち、
あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも
たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、
愛がなければ、無に等しい。
全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、
誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、
愛がなければ、わたしに何の益もない。
愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。
愛は自慢せず、高ぶらない。
礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、
恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。
すべてを忍び、すべてを信じ、
すべてを望み、すべてに耐える。
愛は決して滅びない。
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これを神父さんが読み終わったとき、
宮沢賢治のあの精神だなと
「雨ニモマケズ」を思い出しました。
雨にも負けず 風にも負けず
雪にも 夏の暑さにも負けぬ
丈夫なからだをもち
慾はなく 決して怒らず
いつも静かに笑っている
一日に玄米四合と
味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを 自分を勘定に入れずに
よく見聞きし分かり そして忘れず
野原の松の林の陰の
小さな萱ぶきの小屋にいて
東に病気の子供あれば行って看病してやり
西に疲れた母あれば行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば行ってこわがらなくてもいいといい
北に喧嘩や訴訟があればつまらないからやめろといい
日照りの時は涙を流し 寒さの夏はおろおろ歩き
みんなにでくのぼーと呼ばれ
褒められもせず 苦にもされず
そういうものに わたしはなりたい
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本当に全然、
自分はこんな人にはなれないのだけれど
くだらないことを考えそうになったら
「雨ニモ負ケズ」を思い出すべきだろうと思って
暗唱することにしましたw
だんなは一応、クリスチャンで
私やら多くの友達は
だんなをクリスチャンネームで
呼んでいるのですが、
彼は毎日を仕事に忙殺され
めっきり教会にも行っていないので
聖書第一主義のプロテスタントに
改宗しようかなーと言ってました。
「今日の挙式も感動したし
私ももっと愛について勉強して
だんなのことを理解するために
教会にでも行ってみようかなー」
と私が言ったら
「これこそ、夫婦らしい会話だ(`・ω・´)ゞ」
とか、もっともらしいこと言って、
かなり喜んでいました・・・
喜ぶかなーと思ってかなり考えて
言ったんだけど、
案の定、当たったので、満足まんぞく(^o^;)