ブログネタ:語りたいこと
参加中わたしは体感して
納得しないと
学ばない馬鹿な子である。
簡単なことひとつひとつ。
人に言われるだけじゃ納得できないのだ。
「あぁ、なるほど」
実際触って
間近でみて
においをかいで、
気持ちで感じないと、
脳が「あぁ、なるほど」と思ってくれない。
たとえるなら
「火は熱いから気をつけなさい」と言われて内心「どれぐらい熱いのか、触りたい、触ったらどうなるのかしりた~い
」と言ってつい触っちゃう馬鹿な子供と一緒だ。
人生を通じてなにごとも「実感」するのが私の学びの場なのだ。
そして、
最近実感したことがこのことわざ。
「捨てる神あれば、拾う神あり」
( ̄ー ̄)「あ~あの時は、会社首になって悔しかったけど、おかげで今の会社に入れてこうして充実してるな~」
例えるならこんな状態?見捨てる人もいれば、助けてくれる人もいる。世の中はうまくできていて、今は悪い時でもそう悲観することないよ~という感じだろうか。勿論これはたとえ。首になっていないのでご安心を
私は人生で初めて彼氏に振られて、おちこみのどん底モードだったとき、
いつか、拾ってくれる神様が現れてくれるのか、本当にくれるのか~~~ヾ(。`Д´。)ノと投げやりモードだったときがある。周りが見えなくて、周りに感謝できない状況のとき、どんなに大人でもそこから抜け出すのは難しい。ただひたすら、耐えて毎日それでも生きていくしかない。
そうすると、フッと抜け出ている自分に気づくから不思議。完全吹っ切れるほど、物わかりのいい女性ではないが、少なくとも周りに感謝できる自分には戻ったはず。悲しい思い出として、きちんと心の奥に閉まっとくほど復活できたはず。
そして、この間何故かお風呂に入っていたときふと気づいた。
「あぁ、捨てるほうも神様なのね・・・」
なんとなく拾う神待ち状態だったので、こっちが主体だと思っていたが、何と神様が捨ててるのか
(笑)とっても不思議な概念。八百万の神様をもつ日本。貧乏神もいる日本。とある宗教では「神様はあなたを見捨てません」と説いている一方で、こっちのことわざでは神様は私を見捨てるのか
(笑)
捨てられたと(う~ん、この言い方も好きではないが
)いっても、それでも十分すぎるほどお世話になった相手。楽しい思い出もたくさん。時期がきて、自分を手放してくれるからこそ、その経験を経て、次の相手と出会うのか。その経験をした自分だからこそ、次で感謝し、活躍できるときがくるのか。
その時初めて
自分を振った相手に「今までありがとう」という
思いを抱く意味を知った。
まったく、きれいごとだと思っていたけど。
と~~~っても自虐的だけど、
「捨ててくれてありがとう」という思いである。
気持ちが残っているとか、悔しくないのかという問題とは全く別な感情なのだ。自分でもちょっと不思議だった。これは次の段階を信じている自分じゃないとできない事。やはり、時間を経てうじうじしながらも、自分の気持ちと向かい合った功績は我ながら大きい
自画自賛(笑)
挙句の果てに
「そうか!自分が拾う方になればいいのか!!」とわけのわからない決心をした私。
「捨てる神あれば、拾う神あり」
また一つ、体感し、学んだ。
明日はもうちょっと賢くなってるはずだ。