実録やくざ映画からアウトレイジ ビヨンドまで其の参だわよ | Wunsch und Sünde

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散財についてのアレとかコレとか・・・ タイトルは欲望と罪悪のドイツ語

 なんだかだで三年越しで実録やくざ映画からアウトレイジビヨンドまでの総括をしますwww
【総括】
  『アウトレイジ』、『アウトレイジ ビヨンド』で扱われたお上絡みとの癒着や、主な飯のタネ(シノギ)が脅迫・風俗・金融・クスリ・ノミ行為や裏カジノなどで昔気質の博徒やテキヤ稼業では全くシノゲないという題材は全く目新しい題材ではない。既に『仁義なき戦い』や『県警対組織暴力』など40年前に始まった一連の深作監督作品で既にネタになっているのである。それら実録やくざ映画が公開されて40年経ってもこの国のやくざ稼業の方々は相変わらず同じようなことをやってシノいでいらっしゃるのは大変ご苦労である。
 やくざ者と警察との蜜月は戦後直ぐの数年だけだった。所謂、三国人(中国・朝鮮・台湾)が終戦間もない頃に戦勝国民だとのたまって好き勝手していたとき、法治国家としては赤子同然だった日本の警察機構が荒くれ者且つ国粋主義的で任侠道を若干残していた頃の山口組などに治安維持を任せたことは事実であったようだが、法治国家として独り歩きができるようになった頃にはに当然のように持ちつ持たれつの関係ではなくなる。昭和20年の終戦から5年後、昭和25年に朝鮮戦争が勃発したことによる朝鮮特需と昭和39年に開催された東京オリンピック、昭和45年の大阪万博などに乗じての経済の高度成長により国民の生活が一変する。貧民層が減り、国民総中流家庭になっていく中で戦中、戦後生まれが学生や労働者になって第一次・第二次安保闘争や三里塚でデモを行い、アジテーションをがなった。しかし、赤軍派や連合赤軍などによるよど号ハイジャック事件や浅間山荘事件で武装革命の名の下に共産主義者が国家権力とあいまみえたとき、国民の一過性のブームとしての左翼運動は既に下火になっていた。まさにその時、『仁義なき戦い』が封切られたのである。
 情に厚く、仁義を重んじ、弱きを助け強きを挫く。高倉健さんや鶴田浩二の任侠映画の主人公は勧善懲悪のヒーローとしての侠客であった。しかし、『仁義なき戦い』では侠客と呼べる者はは一人もいない。やくざ者が義理も仁義も道理もなく拝金主義で暴力的な社会悪として描かれており、世の拗ね者たちの寄せ集め集団の生き死にを群像劇として描いた、今でいうダーク・ヒーロー物の傑作であり、やくざ映画というカテゴリーでは日本の映画史上に残る金字塔でもある。この『仁義なき戦い』の舞台となった広島県と沖縄県には日本最大の暴力団である山口組傘下の組がないことが有名であるが、広島に於いての特殊なパワーバランスについては『仁義なき戦い 代理戦争』に詳しい。映画の中に出てくる重要なアイテムやキーワードになるのが盃だが、複雑に絡み合ったパワーバランス=盃を交わした義理の親子(親分と子分)関係と義理の兄弟(兄貴分と舎弟)関係がこじれた結果、広島に山口組の進出を阻んだようである。山口組三代目組長 田岡一雄の自伝にも広島代理戦争についての記述があり、映画で描かれた広島側とは別の角度から考察することができる。実録物の面白いところは資料を読むことができるところにあるのではないだろうか。
 話が逸れてしまったついでにもう一つ。武士の始まりが荒くれ者の集団=やくざ者だったという説から考えると武家の起源から現代まで綿々と続く一種の稼業としてのやくざがある。そこには自らを縛る彼らなりの掟があり習慣がある。例えば盃。同じ盃で酒を飲み交わすことで契りを結ぶ。この盃は弥生時代に大陸から農耕と共にもたらされたと考えられ神にお供物捧げる儀式に使用されており遺跡から出土することも多い。この弥生時代に用いられたのは儀式用の盃は盃に一本脚のついた高盃(高杯・たかつき)と呼ばれるものである。弥生以降の住居祉(じゅうきょし)から出土する一般的な盃は平たく小さな器で『かわらけ』という釉を塗らない素焼き
の土師器(はじき)と古墳以降に半島から入ってきた須恵器(すえき)というろくろを使用し窯で焼く工法がとられた器がある。何れも平安頃まで使用されているが、現代でも用いられている彩色された陶磁器のお猪口や盃になるのは陶磁器が盛んに作成されるようになった17世紀以降ではないだろうか。お猪口は先の高盃のスケールダウンしたものとも取れる形状をしていることからただの酒器としてではなく儀式的な様式にふさわしい盃と言えるのかもしれない。脚付きでない盃も焼き物から漆器まで様々あり今でも用いられているが、話を戻してやくざ映画で主に目にする盃は平たい『かわらけ』のような酒器である。他人同士だった者が義理の親子や兄弟になる大切な儀式なので女人禁制で粛々と行われ、この時に使用した盃は各自が持って帰り大事に保管するらしい。酒器を後生大事にするという行為には武家時代の名残があるが今では形骸化しているのかもしれない。
 武家の成り立ちが荒くれ者たちが徒党を組んで荘園の守備に当たったことだったとすれば、武家として成功していく者とあぶれる者に分かれたのではないだろうか。一説には江戸時代の火消がやくざの源流とも言われている。片やお上として崇め奉られてはいるが、市井の民の中でのやくざは反体制の象徴でもある。江戸から民衆の間で流行り始めた歌舞伎や浄瑠璃、浪曲や落語などの演目として人気のあるものは大抵、人情物であったりお上を揶揄するようなアンチヒーローものである。身分制度への憂さ晴らしが娯楽となり、威張っている武士より近所の○×一家の方が親しみ易く民衆に受け入れられていたのは日本の芸能史を遡ってみるとよくわかる。しかし、その親しみ易い存在であったはずのやくざ者が御一新の後に大きくその様相を変える。
 やくざの主な稼業として博徒系とテキヤ系の二系統が戦後すぐまでは存在していたようである。また、終戦後には愚連隊と呼ばれる復員兵や学生の第三勢力があった。博徒系のシノギは博打であるが、日本の歴史の何時代であっても賭博はご法度ではあった。明確に違法行為とされたのは明治に制定された
刑法186条2項『常習賭博及び賭博場開張等図利』という法律の下での警察機構による取り締まり強化が一気に博徒系の組織を弱体化させた。博徒の本来の稼業である博打では食えなくなるにあたり、近代化されつつある国内外の貿易に付随する港湾荷役や公共事業に伴う土建業などの新たな稼業を生業としていった。また、御一新により士農工商という身分制度がなくなるのだが、この均一化により貧富の差が如実に表れたのである。明治時代には高等教育を授けるための帝国大学や私立の大学などが創設されて勉学に励むことを推進したのだが大学まで行ける者は数少なく、初歩的な学校にすら行けない子供が大半を占めた。特に荷役や土方仕事をしている者には貧困により学業に就けなかった者が多かったようで、頭を使わず身体を使う所謂、肉体労働者か軍隊でしか食えない時代が到来したのである。
 (時は現代に戻り)『ヤクザと憲法』という東海テレビのドキュメンタリー映画を観たが、やくざが非常に生き辛い世の中になっている。時代に流れとともに構成員見習い(くすぼり)も少なくなり、いまややくざが絶滅危惧種になっている感は否めない。
 今年、『アウトレイジ 最終章』が公開されるそうだ。やくざを見てシビレルのは映画の中だけで、現実はそうでないことを賢明な皆様はご存知のだろうが、映画の中だけでもシビレたい。

 総括、終り!