もうすぐ小学一年生、入学の為に揃えなければ為らない教科書が用意出来ていません。

その年は半数の本が、2~3年ごとの新規改定に当たり、学校指定の本屋が、販売に来るのでした。

その時、家庭の事情等で、買えなかった人は後日、 入学式迄にその本屋に出向いて、購入する事が決められていました。

前年度から引き続き使用出来る本は、先輩や兄からのお下がりでしたが。 所々、破れていて、ロストページが何ページもあり、 中には表紙すら無いものもありました。

それを見た私は、そんな教科書でいつたいどうやって、兄は勉強して学校でもトップクラスの優秀な成績を維持出来たのだろう、 私にとっては不思議な事でした。

そんな兄も、実は御近所の先輩から使用出来る古くなった教科書を譲り受けて、使っていたのです。

その内徐々に劣化が進み、 私が引き継いだ時には、 ボロボロの状態になって来ていたのです。

そうとう熱心に使い込まれている事が、 アンダーラインや見出し等の多さで解り、 

汗が滲みたのでしょう、 色が変色している所もあって、ボロボロではあっても、 

私には、兄や先輩の人達の苦労した勉強の跡が凄く感じられて、 新品の教科書よりも、よけいに愛着が湧いてきて、大切に使わせて貰おうと、心に誓いました。

そして学校に履いていく履き物が、 ゴム草履しかありません。

私はそれ迄、靴や下駄等は、一度も履いた事が無く、 服は3才年上の兄のお下がりで、

痩せて小柄な私には、ズボンはダブダブしていて、 綻びや小さな穴があいた所は、 母が得意の針仕事で丁寧に修理してくれていました。

兄からのお下がりが、私に回って来る度に、兄は必ず新しい服を身に着けていたのです。 そして靴は新品のズックです。

そんな時は、逆に、兄は可愛そうだな、綺麗な服や靴では滅多やたらに、汚す事も出来ず、
友達と思いきり遊ぶ事も出来無いだろうな、と考えていました。

劣化したボロの衣服であれば、 少々汚れたり破れてもあまり怒られる事も無く、 自由に気軽に遊べるだろうに、と思いました。

でも本当は、私もたまには新品の服を着てみたい、 靴も履いてみたい、 兄は良いな、私も長男に生まれればよかったのに、 と思う事がありました。

然し、その当時は何処の家も兄妹がが多く、兄や姉のお下がりを着てくる人が沢山いて、

そんな兄も、御近所の年長者のサイズが合わなくなった服を、譲り受けて着ていたのです。

私達の暮らしは、 家出同然の父が作った借金を返済しながら、 母の内職に頼っていて、
食べ盛りの4人の子供を育てて来た母は、
大変な事だったろうと思いました。

その上、リユウマチを患った母が、痛みを堪えながら寝る間も惜しんで、針仕事をしてくれていた母には、

子供ながらに心から、感謝するしかありませんでした。 もし母が倒れて、寝こみでもしたら、私達は忽ち路頭に迷う状態だったのです。

常日頃からそんな母を見ていた私達も、何か出来ないか、新聞配達や牛乳配り等、色々なアルバイトをして、母を助けられないか考え、

新聞店等に頼んでみたのですが、私はまだ年令が低くてダメだ、その上自転車も乗れないと、働けないよ、と断られてしまいました。

たぶん私のひ弱な姿を見て何かあれば大変だな、と心配してくれて、断わったのだと思いました。私は見た目より丈夫です。

兄は母の了解が取れれば、考えても良いとの事でしたが、母に内緒にしたかった私達は、他の所も当たって見る事にしました。

小さな子供が働ける所は限られていました。
それからは、色々なアルバイトを経験する事になるのでした。

そんな我が家にとって、新しい教科書や教材、衣服を買える様なゆとりは、殆んど無く、それでも私は、入学式迄には何とか全て揃っているだろうと、考えていました。

今まで、いつもタイトな生活でしたが、ギリギリの所で、 何とか母が切り抜けてきていたので、私は楽観していたのです。

当面の私の通学スタイルは決まりました。

ダブダブズボンにゴム草履、 年季の入ったボロボロの教科書抱え、 痩せて小柄で、目が大きく、 坊主頭のひ弱な小学一年生の出来上がりです。

兄と違って幼稚園経験のない私は、初めての学校生活で、沢山の友達が出来る事が嬉しくて、母の悩みを忘れて、ワクワクしていました。

続く……