いよいよ入学式、今日から小学一年生です。
初めて同級生となる、みんなと初顔会わせです。
みんなは以前からの友達のように、親しげに話しをしていました。それを見て引っ込み思案の私は、なんてみんな積極的で、社交的なんだろうと萎縮してしまいした。
せの日の朝、母から私に思わぬサプライズのプレゼントがありました。生まれて初めてのプレゼントです。母が用意してくれた、新品の下駄です。
嬉しくて堪りません。流石に入学して解った事は、ゴム草履で来る生徒は私を含めて2人だけ。
その時私は決めました。今日だけは下駄で参加ですが、明日からは私もゴム草履、その方が履きやすく気軽です。
そして靴下も履いてないのは私だけ、
下駄は大切にしまって、大事な時や正月だけ使おうと考えました。
ゴム草履の冬場はことのほか、寒くて足先がだんだんと冷えていき、かいても、かいても痒みが消えません。
入学してからの授業は苦労の連続でした。
ページが破れたり無くなっている所は、なるべく先生と顔を合わせない様に、
目が合わない様に、指されてそこを読んでみなさいと言われても、ページが無いのですから答えられません。
その時間になるといつもビクビクしていました。お金が無くて新しい本が中々買えない事を、解っていた私は、母にその事を言って困らせたくなかったのです。
母が無理をする事が目に見えていました。
もし倒れでもしたら、私の責任です。
漸く不足していた教科書が10日程で全部揃いました。我が家にお金の都合が付いたのです。但しお下がりの本は相変わらすです。
そんな日々が続いていたある日の午後の事でした。再び悪夢の再来が訪れるのでした。
もういないものだと決めていた父が、突然帰って来たのです。
少し酒の臭いをさせながら、借金取りを2人も連れて帰って来たのです。
飲み代と食事代が溜まっていたのです、前回の様な、博打のツケではなかったのですが、
金が無い事を承知の父なのに、借金のかたに何か持って帰るとの事です。
母が着物の仕立てを頼まれた反物が側に2反、置いてありました。
当時も今も高価な物です。
それに目を付けた借金取りは、それを持って行くとの事で、母は大事な人様の物だからと言っても、聞き入れません。
父はというと、自分の事なのに、早速酒瓶を見つけてもう飲んでいました。
父は自分に向いた仕事が見つけられず、収入も無く、かと言って、嫌な仕事をして迄、働く事が納得出来なかったのです。
そんな状態では家に帰って来た所で、小さな子供達を前にして、父のプライドや威厳が保てるはずも無く、
恥ずべき惨めな姿を晒す事が、どんなに居たたまれない事かと感じていたんだと思いました。
また酒の力を借りても、 素面では帰れない弱い一面があつたのでしょう。酒が入ってない時は本当に優しい父なのに、
そんな事を解っていた母は、いっか、いっかきっと、気長に耐えていたのだと思いました。
日頃から反物の大切さを教えて貰っていた私達は、母と借金取りが話し合いをしていた時、兄と2入で本当に持って行かれたら困る反物を、1反ずつしっかりと抱えて離しませんでした。
幾度となく我が家に振りかかって来る危機、その度に、体に痛みと精神的な苦痛を抱えながら私達の為に、
一生懸命耐えてきた母を何度も見てきた、私達は母の事を思うと子供心に、お母さんありがとう、と思わずには居られません、
涙が滲んで来ました。
そして必死に反物を庇う私達の姿を見て、何かを感じたのでしょう、その人達も取り上げるのを止めました。
私達は無理に取り上げるなら、その人達の腕でも、指でも足にでも、噛みついて守ろうと決めていたのです。
例えその為に大怪我しても、覚悟をしていたのです。
借金取りはお金が無い事が解ると、借用書を作って判子を押して貰いたい、
母は本人がそこにいるので書いて貰ってくれと言った所、余程、信用が無いのでしょう。
父ではダメだ、奥さんに頼む、との事、母は書けない、毎日やっと食べているのに、こんな生活で何処からそんな金を出せるのか、当ての無い借用書は書けない。
するとあんたにも1人や2入知人がいるだろう、その人に頼めないのか、母はこの家の状態をみんな知っているので、何処も貸してくれない。
するとその着物を納めている所で、借りられないか、
母は以前にも前借りを頼んだが返済日が守れなかったので二度と借りられなくなった。
それを聞いた借金取りは2人で話していたのですが、父の仕事を知った2入は、店の看板等を只で書いて貰う事で、帳消しにする事で話しが
まとまりました。芸は身を助けるとはよく言ったものです。正直助かりました。
続く………
初めて同級生となる、みんなと初顔会わせです。
みんなは以前からの友達のように、親しげに話しをしていました。それを見て引っ込み思案の私は、なんてみんな積極的で、社交的なんだろうと萎縮してしまいした。
せの日の朝、母から私に思わぬサプライズのプレゼントがありました。生まれて初めてのプレゼントです。母が用意してくれた、新品の下駄です。
嬉しくて堪りません。流石に入学して解った事は、ゴム草履で来る生徒は私を含めて2人だけ。
その時私は決めました。今日だけは下駄で参加ですが、明日からは私もゴム草履、その方が履きやすく気軽です。
そして靴下も履いてないのは私だけ、
下駄は大切にしまって、大事な時や正月だけ使おうと考えました。
ゴム草履の冬場はことのほか、寒くて足先がだんだんと冷えていき、かいても、かいても痒みが消えません。
入学してからの授業は苦労の連続でした。
ページが破れたり無くなっている所は、なるべく先生と顔を合わせない様に、
目が合わない様に、指されてそこを読んでみなさいと言われても、ページが無いのですから答えられません。
その時間になるといつもビクビクしていました。お金が無くて新しい本が中々買えない事を、解っていた私は、母にその事を言って困らせたくなかったのです。
母が無理をする事が目に見えていました。
もし倒れでもしたら、私の責任です。
漸く不足していた教科書が10日程で全部揃いました。我が家にお金の都合が付いたのです。但しお下がりの本は相変わらすです。
そんな日々が続いていたある日の午後の事でした。再び悪夢の再来が訪れるのでした。
もういないものだと決めていた父が、突然帰って来たのです。
少し酒の臭いをさせながら、借金取りを2人も連れて帰って来たのです。
飲み代と食事代が溜まっていたのです、前回の様な、博打のツケではなかったのですが、
金が無い事を承知の父なのに、借金のかたに何か持って帰るとの事です。
母が着物の仕立てを頼まれた反物が側に2反、置いてありました。
当時も今も高価な物です。
それに目を付けた借金取りは、それを持って行くとの事で、母は大事な人様の物だからと言っても、聞き入れません。
父はというと、自分の事なのに、早速酒瓶を見つけてもう飲んでいました。
父は自分に向いた仕事が見つけられず、収入も無く、かと言って、嫌な仕事をして迄、働く事が納得出来なかったのです。
そんな状態では家に帰って来た所で、小さな子供達を前にして、父のプライドや威厳が保てるはずも無く、
恥ずべき惨めな姿を晒す事が、どんなに居たたまれない事かと感じていたんだと思いました。
また酒の力を借りても、 素面では帰れない弱い一面があつたのでしょう。酒が入ってない時は本当に優しい父なのに、
そんな事を解っていた母は、いっか、いっかきっと、気長に耐えていたのだと思いました。
日頃から反物の大切さを教えて貰っていた私達は、母と借金取りが話し合いをしていた時、兄と2入で本当に持って行かれたら困る反物を、1反ずつしっかりと抱えて離しませんでした。
幾度となく我が家に振りかかって来る危機、その度に、体に痛みと精神的な苦痛を抱えながら私達の為に、
一生懸命耐えてきた母を何度も見てきた、私達は母の事を思うと子供心に、お母さんありがとう、と思わずには居られません、
涙が滲んで来ました。
そして必死に反物を庇う私達の姿を見て、何かを感じたのでしょう、その人達も取り上げるのを止めました。
私達は無理に取り上げるなら、その人達の腕でも、指でも足にでも、噛みついて守ろうと決めていたのです。
例えその為に大怪我しても、覚悟をしていたのです。
借金取りはお金が無い事が解ると、借用書を作って判子を押して貰いたい、
母は本人がそこにいるので書いて貰ってくれと言った所、余程、信用が無いのでしょう。
父ではダメだ、奥さんに頼む、との事、母は書けない、毎日やっと食べているのに、こんな生活で何処からそんな金を出せるのか、当ての無い借用書は書けない。
するとあんたにも1人や2入知人がいるだろう、その人に頼めないのか、母はこの家の状態をみんな知っているので、何処も貸してくれない。
するとその着物を納めている所で、借りられないか、
母は以前にも前借りを頼んだが返済日が守れなかったので二度と借りられなくなった。
それを聞いた借金取りは2人で話していたのですが、父の仕事を知った2入は、店の看板等を只で書いて貰う事で、帳消しにする事で話しが
まとまりました。芸は身を助けるとはよく言ったものです。正直助かりました。
続く………