小学一年生になって、僕のクラスの担任は男の先生でした。 怖い評判のT先生です。

宿題を忘れて来た生徒は、みんな教室を背にして、廊下に並ばされ、男女分け隔てなく、頭にゲンコツを貰いました。

3度に1度はほっぺたに音がするほどの平手打ちをします。半数以上の生徒は泣いていました。

いつもは宿題等、忘れた事の無い生徒でも、お仕置きを受ける時は、殆んどの子が泣くのです

男子は平気なのですが、女の子にもゲンコツやほっぺたに平手打ちとは驚きでした。

理由があつて宿題が出来なかった生徒もいる筈です、でも言い訳は通じません。
先生も教育の観点から、生徒に対し真剣に情熱を傾注していたからだと、思いました。

お仕置きが終わり、順番に先生から教室に復帰許可が下りた生徒が、沈んだ気持ちの儘、教室に戻って来ると、涙を浮かべていても、泣くのを堪えてきた子には、

誰から言われるでも無く自然に、クラス全員が《大丈夫だよ、よく頑張ったよー》等と声を掛けてくれて、拍手で温かく迎えてくれるのでした。

善い事をした訳でも無いのに、何か心が救われる気がしてくるのでした。普段は苛めをしている子でも、そんな時は人の事を心配してくれるんだな、と思いました。

優秀で宿題等、忘れた事の無い子もみんな等しく、その時ばかりは励まし合い、助け合う事が、僕には大変嬉しく感じられるのでした。

普段から怖いイメージでしか接していない、そんな先生に対する、皆の反発が心をひとつにしていたんだと思うと、良い学校に入ったなと感激するのでした。

家で母に怒られる時は、何で怒られるのかハツキリと諭されて、再度同じ過ちを繰り返した時は、本当に真剣に怒ってきて、先生よりも誰よりも強くゲンコツをお見舞いされました。

母は、《先生に怒られるのは恥ずべき事で、何も無くて怒る人はいないよ》
《あんたが大人になった時、正しく生きていける様に、皆から色々な経験や知識を勉強させて貰っているんだよ》
《お父さんやお母さんは、何れ、年取ってあの世からお迎えがくる、そしたら誰も頼れないよ》
《その為に自分が人の言われる事を良く聞いて、しっかり勉強する事が子供の仕事なんだからね》と、よく言われました。

外出先でも悪さをした子供は、近所のおじさん、おばさん、通りすがりの知らない人にでも

《この悪戯坊主、そんな事をしたらダメだぞ》と、注意され怒られてゲンコツでした。同時の風潮では実際それが普通だつたのです。

今と違って、苛めは当時も有りましたが、その頃の子供は限度を知っていて、直ぐ止めました。自分も同様にゲンコツの痛みを知っていたからだと、思いました。

昔の人は怖い物の例えに、地震、雷、火事、親父と、よく言われていましたが。僕の家では母が第一、第二が先生、地震と警察が第三で、親父は番外でした。

一番最初に出来た友達は、Mちゃんと言う女の子でした。小柄でおとなしく、体の弱い僕は、早速やらかしました。

朝の朝礼で気を失なって倒れ、医務室に運ばれたのです。小学生活の間は度々貧血を起こして、医務室で気が付くのです。

校医の見立ては決まって栄養失調でした。

Mちゃんは僕の隣の席で、非常に心の優しい、しっかりした子です。そんな僕の事が心配で、いつも見守ってくれていました。

他の同級生から苛めの様な事をされた時には、必ず僕の前に立ちはだかって、僕を庇ってくれました。

そして度々 Mちゃんの家に遊びに来ないか《美味しい果物やビスケット等が色々あって、私一人では食べ切れないよ》と、誘われ本当に物凄く嬉しかつたのですが、

兄妹の事を考えると、僕一人だけ美味しい物を、ご馳走になる事は出来ないと考え、我慢するしかありません。

いつも助けてくれて、世話になるばかり、その上、少し気恥ずかしさと、お礼をもって行くことが出来ない僕には、何か理由を見っけては断わる事しか出来ませんでした。

お正月になっても、食べるのが精一杯な我が家では、お年玉を貰った記憶があまりなく、ましてや貯金もないので、僕のお腹が普段からそんな夢を見る事を許さないのでしよう。

何だか美味しい物を見ても、欲しくて堪らないと言う感覚がそれ程沸いて来ないのです、

僕は、ちょくちょく2~3日食べなくても平気な体になっていたのです。多分胃が小さくなっていたんだと思います。

続く………