覚悟を決めてペンキ職人となった父の初めての仕事は、
やはり、腕に覚えのある、
映画館の宣伝用看板で、映画スターの似顔絵や、タイトルの字です。 その他に商店街の看板も依頼されました。
銭湯の依頼は壁にはお馴染みの富士山や、松林、の風景図、
アルミ製の鍵がかかる脱衣箱の扉の一つ一つには鶴、亀等の動物絵でした。
その他、お城の敷地内に鎮座している神社で、何十本もある朱塗りの鳥居に、
一本、一本宣伝用の文字を書き入れるのも父の恒例の仕事でした。
勿論、鳥居の朱色も全て塗り替えました。
兎に角、何でも書いてましたので、少なく共、これからは生活費の心配だけはしなくて済むと、
心からみんなで喜び合いました。父の顔も落ち着いて穏やかに見えました。
今度は大丈夫だろうと安心しました。 母の笑顔が見られたのは本当に久々でした。
でも、その生活も僅か一年余りしか続きません。
看板や字の仕事が徐々に減ってきてペンキ塗りの仕事に移行していくに従い、
父の表情に陰りが出始めたのです。
自身を芸術家タイプと思っていた父は、
ただの、普通のペンキ職人と思われるのが嫌だったんだと思います。
ですが私は、ある時から、ペンキ塗りの仕事は、技術や、知識、経験の他、
体力、根性等も必要なんだと、痛切に認識したのです。
それ迄は単に刷毛で塗り潰すだけの誰でも出来る単純作業で楽な仕事だ、
塗り残しがなくて、遅いか早いかだけの差が評価されるのだと思っていました。
しかし、子供の視線で見る感覚とは全く違っていました。
一般家庭の塗装は、はふや桁、さん、枠等の細かな技術を要求される箇所が多くあるのです。
私がもっと成長して中学生になった夏休みに
アルバイトで何度か、父の手伝いをして初めて理解出来たのです。
色合わせは並大抵では出来ません、何度調合しても必要な色が出来ません、知識や経験が要求されます。
そのうち、頭がくらくらしてきました。シンナー中毒の初期症状が起こったのです。
しかし、私は小さい時から父の仕事の影響下にあつて、
土間の棚に並べていた、シンナー等の塗料に囲まれて育ちましたので、
いくらかそれに対応出来る体になっていたのです。
自然に匂つてくるシンナーを何度も吸ってると嫌でなくなり、かえって良く感じる事があります。これがシンナー中毒の始まりだと思っています。
危うく中毒になる所でした。又、トタン屋根の上の塗装工事は熱くて足が火傷しそうな程で、歩くのが困難でした。
私にとって、一回の作業は5分から10分が限度で足元を度々冷やしながらの作業となりました。
熱気が凄く、陽射しを避ける所もありません。よほど根性と体力が無くては塗装職人は勤まりません。
甘く見てました。 夏の屋根の塗装工事なら確実に、汗だくで何㎏も痩せられると思いました。
この様な環境の中で今迄仕事をしてきた父の事を思うと、頭が下がるばかりです。
仲間同士で互いの安全確認をし合いながら、相方に声がけしながらの作業でした。
工場の屋根は高い所で10㍍以上もあり、滑り落ちたら大変です命がけの仕事です。
激務と危険を認識しながらの作業が私にも理解出来ました。
私の内で父に対する評価が変わり始めた、最初の出来事でした。
その上、外での塗装仕事は雨が降って来ると中止です、雨が天敵なのです。
特に梅雨シーズンになると、家にいて気が滅入っている父の姿を度々みておりました。
私は今ではペンキ職人さんを尊敬しています。
しかし、父がようやく覚悟を決めて入った世界のはずが、再び、酒に逃避しはじめたのです。
思い描いた仕事も出来ず、天候に左右され、出鼻をくじかれる日々に嫌気がさしたのでしょう。
父の勘当から既に2年が過ぎ、
私が5才、家族の生活は再び貧乏になっていきました。……
やはり、腕に覚えのある、
映画館の宣伝用看板で、映画スターの似顔絵や、タイトルの字です。 その他に商店街の看板も依頼されました。
銭湯の依頼は壁にはお馴染みの富士山や、松林、の風景図、
アルミ製の鍵がかかる脱衣箱の扉の一つ一つには鶴、亀等の動物絵でした。
その他、お城の敷地内に鎮座している神社で、何十本もある朱塗りの鳥居に、
一本、一本宣伝用の文字を書き入れるのも父の恒例の仕事でした。
勿論、鳥居の朱色も全て塗り替えました。
兎に角、何でも書いてましたので、少なく共、これからは生活費の心配だけはしなくて済むと、
心からみんなで喜び合いました。父の顔も落ち着いて穏やかに見えました。
今度は大丈夫だろうと安心しました。 母の笑顔が見られたのは本当に久々でした。
でも、その生活も僅か一年余りしか続きません。
看板や字の仕事が徐々に減ってきてペンキ塗りの仕事に移行していくに従い、
父の表情に陰りが出始めたのです。
自身を芸術家タイプと思っていた父は、
ただの、普通のペンキ職人と思われるのが嫌だったんだと思います。
ですが私は、ある時から、ペンキ塗りの仕事は、技術や、知識、経験の他、
体力、根性等も必要なんだと、痛切に認識したのです。
それ迄は単に刷毛で塗り潰すだけの誰でも出来る単純作業で楽な仕事だ、
塗り残しがなくて、遅いか早いかだけの差が評価されるのだと思っていました。
しかし、子供の視線で見る感覚とは全く違っていました。
一般家庭の塗装は、はふや桁、さん、枠等の細かな技術を要求される箇所が多くあるのです。
私がもっと成長して中学生になった夏休みに
アルバイトで何度か、父の手伝いをして初めて理解出来たのです。
色合わせは並大抵では出来ません、何度調合しても必要な色が出来ません、知識や経験が要求されます。
そのうち、頭がくらくらしてきました。シンナー中毒の初期症状が起こったのです。
しかし、私は小さい時から父の仕事の影響下にあつて、
土間の棚に並べていた、シンナー等の塗料に囲まれて育ちましたので、
いくらかそれに対応出来る体になっていたのです。
自然に匂つてくるシンナーを何度も吸ってると嫌でなくなり、かえって良く感じる事があります。これがシンナー中毒の始まりだと思っています。
危うく中毒になる所でした。又、トタン屋根の上の塗装工事は熱くて足が火傷しそうな程で、歩くのが困難でした。
私にとって、一回の作業は5分から10分が限度で足元を度々冷やしながらの作業となりました。
熱気が凄く、陽射しを避ける所もありません。よほど根性と体力が無くては塗装職人は勤まりません。
甘く見てました。 夏の屋根の塗装工事なら確実に、汗だくで何㎏も痩せられると思いました。
この様な環境の中で今迄仕事をしてきた父の事を思うと、頭が下がるばかりです。
仲間同士で互いの安全確認をし合いながら、相方に声がけしながらの作業でした。
工場の屋根は高い所で10㍍以上もあり、滑り落ちたら大変です命がけの仕事です。
激務と危険を認識しながらの作業が私にも理解出来ました。
私の内で父に対する評価が変わり始めた、最初の出来事でした。
その上、外での塗装仕事は雨が降って来ると中止です、雨が天敵なのです。
特に梅雨シーズンになると、家にいて気が滅入っている父の姿を度々みておりました。
私は今ではペンキ職人さんを尊敬しています。
しかし、父がようやく覚悟を決めて入った世界のはずが、再び、酒に逃避しはじめたのです。
思い描いた仕事も出来ず、天候に左右され、出鼻をくじかれる日々に嫌気がさしたのでしょう。
父の勘当から既に2年が過ぎ、
私が5才、家族の生活は再び貧乏になっていきました。……