この家に来た時、私達家族は他に行く宛も無く例えどんな辛い事が有っても此処で頑張るしか無いと決めていました。

深酒と借金のせいで勘当された父と一緒に住み慣れた実家を逐われ、
着いた所は、古くて修理が必要な、風通しの良い6畳一間の小さな家でした。

夏場はとても快適で天然クーラーが効いていました。 然し冬場になると、隙間風が入り込んできて、とても寒く夜は寝れません。

そこで唯一の家具である小さな茶箪笥と卓袱台を壁側に寄せて、シングルの布団を三枚並べ、みんなでウナギの寝床と相成りました。

窮屈でしたが皆の体温でいくらか凌ぎやすくなりました。
それでも私達には希望が有りました。私は此処に来たとき、何か良いことが起こりそうなワクワクした気分で満たされていました。

此処では誰にも文句を言われず、誰からも厭がらせを受ける事も無い、 自由な生活が送れそうな気がしてとっても嬉しくて堪りませんでした。

兄は特に喜んだのではないでしょうか。
以前の生活では母の内職が家事の遣り繰りを支えていて、 二階に住んでいた叔母さん達は何も手伝わずに食事の用意が整うと上から降りてきて、食事をしながらその食事に文句を付けるのです。

あるとき母の着物の仕立ての納品時間が迫つており、普段は気を使つていた叔母たちに少し食事を作るのを手伝つてくれないか、と頼んだ所、

私達はこの家の人間だ食事を作るのは嫁にきたあんたの役目だろう、私達が出戻りなので使用人と勘違いしないでくれ、

厭ならここから出て行けばいいだろう、どうせ父も家に帰って来ない、そればかりか自分達が迷惑していると、母を責めるのでした。

母はそれ以来二人の叔母に何も言わなくなりました。

父はその頃、滅多に家に帰って来ず、外で借金を作っては、取り立てが母の所に来る有り様でしたので何者も言得なかったのでしよう。

私達も叔母からよくからかわれたり、いじめも受けていましたが、なるべく母には黙っていました。

言うと母の立場が辛くなるからです。

そんな時母から私達に、大きくなったら自分の力で何でも買えて食べられる様になるからね、それ迄は神様が早くあなた達が大人になれる様に修行させてくれているんだよ。 だから決して人を恨んだりしてはいけないよ。

この時二人の叔母は伴に出戻りで、次の嫁ぎ先も決まっておらず、イライラして近くにいた私達や母に、それの捌け口を求めて辛く当たつてきたのかも解りません。自分達も辛かつたんだと思いました。

心機一転私達にとっての新居に引っ越ししてきて僅か1年あまり妹が産まれて、6人家族となりましたが、

父が仕事の意欲を失い再び以前の父に戻ってしまったのです。情け無くもたまにしか家に帰って来ず、帰って来ると借金取がくっついてきてまるでリプレーを見ている様でした。

然し、今回からは、もっと酷いドン底生活が待つていました。それは…………